漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「好きな季節」である。
これは「夏」と即答できる。
好きな理由は「寒くない」からだ。
じゃあ暑いのは好きなのかというと好きではない。
つまり消去法で夏が好きなだけであり、逆に言えば「夏も暑いから嫌い」と言えなくもない。
日本の魅力は四季があることと言われるが、その魅力を完全に殺す生活をしており、居住権の無駄遣いである。
寒いのも暑いのも嫌いなら、春と秋は好きなのではないかと思うかもしれないが、春は冬が残っているから嫌いだし、秋は冬に向かっているから嫌いである。
むしろ「夏以外は冬」であり、そこら辺のサーファーよりもよほど夏の終わりを惜しんでいるし、夏のおかげで生きてるという意味ではTUBEと互角にやり合えるのではと思っている。
つまり好きな季節はと問われたら「まあ強いて言えば夏すかね」とスマホから視線を離さず言うが「嫌いな季節は?」と言われたら「ドストレートな質問キタコレ」などというオタク仕草さえせず、むしろ「冬!冬!冬!冬!冬!冬冬冬!」という湘南乃風リスペクトのパリピノリで答える。
何故そんなに冬と寒さがダメかと言うと、私は年中何もできないし絶望しているが、寒いともっと何もできないし絶望してしまうからだ。
まず単純に「寒い」という状態が辛い。
これは長男だから耐えられるとかいう問題ではなく、仮に長男の嫁や入り婿など、この世でもっとも我慢強いとされている生き物だったとしても耐えられない。
それに比べれば、暑さというのは、両親の間に何かが起こって発生した、上と10歳離れた末っ子でも「あとで『ガツン、とみかん』買ったるわ」と言われれば耐えられるレベルなのである。
寒さの辛さはもはや死を感じるレベルであり、実際指先は「臨終」の温度になっているため、実質2割は死んでいると思われる。
おそらく私の寒さ嫌いの理由は、深刻な末端冷え性である。特に足先が酷く、私が「夏以外冬ですよ」と主張するのに対し、足の指先は「いやいや夏も冬ですよ」と、謎の冷え性マウントをとってくる。
実際私の足の指先に体温が存在することは非常に稀であり、現在もまだ9月下旬だが、エアコンも入れていないのに足先はすでに死んでおり、部屋着にケダモノの耳がついたあざといパーカーを着ている女が履いているような、パステルカラーのもこもこした冷え性用靴下を履いているが、正直それは「死体を毛布で包んでいるようなもの」なため、当然もこもこした靴下の中で指先は死んでいる。
夏の暑さが異常になってきたと言われて久しいが、私の指を温めるに至っていない時点でまだヌルイ。
しかし、足先以外はちゃんと暑いため、エアコンはつけるのだがエアコンをつけると足先が死んで辛いのだ。
よって今年の夏、10分間隔でエアコンをつけたり消したりしているという、傍から見れば完全にメンタル方面の病(ビョウ)を患った人になってしまった。
よって私は「エアコンというのは暑いか寒いしかない」と主張し続けているが、全く賛同を得られたことがない。
そういう人たちは「絶対にちょうどいい温度はあるだろ」という考え方のようだが、本体と足先で「ちょうどいい温度」が10度ぐらい差があるため、ちょうどいい温度など絶対ないのである。
よって、真夏は裸の大将のコスプレのような格好でエアコンもつけるが、足元はもこもこ靴下という、露出狂よりある意味変態な格好をしている。それを「愚かな文明人の末路」みたいに思われるのは心外である。
「エアコンの効いた部屋で裸の大将のコスプレをしながらもこもこ靴下を履く」というのは「真冬に暖房をガンガン点け裸の大将のコスプレでこたつに入りながらアイスを食う」というような贅沢ではなく、身体的苦痛を極力和らげようとした結果、そういう変態になったというだけなのである。
このように、夏も割と辛いのだが、それでも全部死んでいる冬よりはマシである。
暑いよりは寒い方が死を感じるし、死を感じると暗い気持ちになってくる。そして一日の内一番寒さを感じるのは「朝」である。
つまり冬というのは「起きた瞬間絶望」なのだ。
どれだけ、部屋を暖めていても、まず「布団から出る」という「金魚を水槽から出す」と同義の残虐行為を経なければいけないのだ。
それでも死ぬ前に暖房の効いた部屋に入れれば良いが「タイマー入れ忘れ」を犯していた場合「今日は閉店」である。
それに比べれば、夏はまだ死を感じるシーンが少ないのだ。
これからまた冬がやってくるというか、もう冬である、今から夏が待ち遠しい。