漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
「オタク」も昔に比べたらだいぶ市民権を得てきた。
ネットも昔は犯罪予備軍の根暗野郎がやっているというイメージであったが、今や当たり前のものであり、もはや情報はテレビではなくネットで仕入れる時代である。
そう勘違いして「やっとワクワクチンチンとれたわ~」とツイッターノリを声に出してしまい、普通に引かれるのが現在のオタクである。
しかし「オタク」と一言で言ってもいろんなタイプがいる。
こうやっと何かと語りを入れたがるのもオタクの特徴の一つだ。
防犯のためだけではなく、オタクの長い話に捕まりそうになった時の対策としても催涙スプレーなどの携帯をお勧めする。
オタクと言ったら暗いインドアコミュ症というイメージがあるかもしれないが、いわゆる二次元オタクでも、イベントに足しげく通い、終わった後は仲間たちと動物の死骸を焼く儀式を行い、時には日本刀などを見に全国津々浦々行脚するようなアクティブなオタクもいる。
片や、活動はパソコンの中のみ、ピクシブの神絵師にコメントするかどうか5時間迷って、謎の生物が目をハートにして鼻血を吹いているアイコンを残すのが精いっぱいというオタクもいるのだ。
ただ例外として、どちらのオタクも動物の死骸を焼くのは海などではなく焼肉屋である、ここだけは一貫している。
また関連商品を買い集め、家に祭壇を作り始める敬虔なオタクもいれば、敬虔ではあるがグッズ類は集めずひたすら推しの概念を崇める非偶像崇拝者もいるし、「推しのJPEGだけは集める」という21世紀に登場した新興宗教もある。
ただ、そのどれにも当てはまらない、実はアニメも漫画もそんなに見ず、もはや「無趣味」の域でありながら、言動が気持ち悪すぎるというだけで周囲からオタクと思われ、本人も自分のパーソナリティを説明するのにそれが一番楽だからオタクを名乗っている、邪教徒もいる。
私はどちらかというと邪教派であり、私がオタクと名乗るといつまでも「気持ち悪い人=オタク」というイメージが根絶できないので、最近ではオタクではなく「無職」と名乗るようにしている。
だがそれも、こうやって絵や文章で収入を得ている以上騙りと言われても仕方がないし、何か事件を起こした時も「自称無職」というテロップが入ってしまう。
つまり、どこにも居場所がない、だれもお前を愛さない状態だ。
潔く「ただの気持ち悪い人です」と名乗るという手もあるが、40近くになってそんな自己紹介をしていいと思っている神経が一番気持ち悪いと思う。
そんなわけで年々オタクとは名乗りづらくなっているのだが、唯一私にオタクらしい面があるとしたら、二次元のキャラクターに特別な大きすぎる感情を抱くという点だと思う。
そんなの当たり前だろうと思うかもしれないが、世の中には、漫画やアニメは普通に読むが、キャラに対して特に感情が湧かないという人もいるのだ。
だとしたらアニメの一体何を見ているのか、画素数とかだろうかと、こちらは不可解に感じるのだが、向こうからすれば、実在もしなければ奥行きもない人間のことで飯が食えなくなっているこちら側の方が怖いと思う、同じものを見ているはずなのに不思議だ。
こういったキャラクターに巨大感情を抱くタイプは、当然のようにキャラクターのプロフィールや設定などを深く知りたがる。
私もそういうタイプだが、正直そこ止まりである。
オタクは自分がハマっているジャンルを「沼」と呼ぶが、沼の浸かり方も、深く潜るタイプもいれば、ひたすら表面に大の字になって浮かんでいるタイプ、そして沼が横に広がっていくタイプがいるのだ。
沼が横に広がるタイプは、例えば推しが将棋好きという設定だったら、将棋のルールを覚え、なんなら自ら将棋をはじめ、いつの間にか将棋沼にもハマっているのだ。
その点私は、将棋好きという設定に目頭を押さえても、ルールは一切覚えなかったりする。
そんなわけで今回のテーマは「日本史」である。
私は、新撰組の土方歳三が実在の人物最推しと言っているが、土方さん個人の逸話には興味を示しても、幕末の歴史に詳しいかと言うと全くそんなことはないのである。
だが横に広がってしまうタイプは、歴史上人物キャラにハマったら、そのキャラが生きた時代の歴史や他の人物にも詳しくなってしまうのだ。
こういうタイプは、ジャンルを変遷するごとに博識になっていくのだが、私は沼の浅瀬に打ち上げられておるデカいイカの死骸みたいなオタクなので、何にハマってもその分野に関して詳しくなるということがない。
よって「オタクのくせに無知」という、ますますオタクのイメージを悪くする存在になってしまっているのだが「こんなことも知らないで○○オタクを名乗るな」というのも選民的な思想である。
同じ海でも、泳いだり、スキューバダイビングしたり、砂浜にさよならと書いたり、遊び方はさまざまであり、どれが正しいというわけでもない。
ただ命を落とさず、他人に迷惑をかけず遊べているならそれで良いのだ。