漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「涙が出る時」である。
こういう質問を17歳歴20年以上のベテランJKにしたら「タマネギ切ってる時かな」という地球温暖化を食い止める一手が返ってきた、という経験をしたことがある人は多いと思う。
しかしこれは、赤子が成長過程で自然と「ママ」「パパ」「御社」と言い出すように、中年女が自然に覚えるBG(ババアギャグ)というわけではない。
そもそもギャグですらなく、JK師匠たちは「マジでタマネギをよく切っている」可能性が高い。
もちろん、女や中年に限ったことではないのだが、日常的に料理をするようになるとタマネギの汎用性に慄くことになるのだ。
基本的に炒め物や煮物など何にでも混入させられるし何より「かさまし効果」が高い。
確かにアスパラとかも美味いのだが、あれを単体で料理すると「2週間後に水着を着なければいけない女」という生物のエサぐらいの量しかできない。
せっかく手間をかけてベーコン巻きとかを作っても「量が少ない=手抜き」という肥満脳連中に文句を言われる恐れがあり、果ては禁じ手「他に何かないの?」を出されてしまったりする。
そうなったら家庭内で「今日の食材はお前で決まりや」というリアルヒプマイが起こってしまう。
タマネギはそんな事件事故を防ぐための強い味方であり、気が付けばチャー研が毎日家を焼いているように毎日タマネギを切っていたりするのだ。
特に今はタマネギの季節なので私も3日連続ぐらいでタマネギを切って泣いている。
「タマネギを切っても涙が出ないようにする方法」という「他人の家の食卓」みたいな番組に出て来そうなネタもよく聞くが、ここまでタマネギを頻繁に切ると「もう泣いとけばいいじゃん」というノーガード戦法になり、最近は「泣きたいのはタマネギの方では」という相手を思いやる気持ちが芽生えてきた。
やはり自分の悲しみばかりに気を取られていてはダメなのだ。
ではタマネギ以外で涙が出る時はと聞かれたらもちろん「あくび」なのだが、これ以上は本当にBG以外の何物でもなくなってくるので、生理現象的な涙の話はここで終わりだ。
幸いにもここ数年、悲しくて泣いたという記憶はないのだが、もちろん「忘れているだけ」という可能性がある。
これは年を取って強くなったというわけではなく、一定の年齢を越えると、人生において泣くような「イベント」が激減してくるだけである。
ソシャゲで言えば「虚無期間」が長くなり、ユーザーから「そろそろサ終では」とは言われるようになるパターンだ。
しかし一方で「年を取ると涙もろくなる」とも言われる。
確かに思春期がタンを吐いて劇場を出ていくような激安感動映画でも中年以上は泣いていたりするし、下手をすると予告やあらすじで泣いていたりする。
ただしこれは、年を取ると心のセンチメンタルジャーニーな伊代部分が鋭敏になるというわけではなく、むしろ脳の感情を制御する部分が年を取ることでパカパカになってきたという「老化現象説」が有力だそうだ。
つまり原理としては「尿漏れ」と全く同じなのだ。
確かに私も泣くようなイベントは激減してきたが、泣かせるような話には漏れているのに漏れなく泣くようになってきている。
特に「猫」に関しては、私の伊代は年々正気を失っており、ツイッターで初見の猫の訃報を見ただけで号泣するようになってしまった。
それで本気で1日落ち込んだりしてしまうため、たとえフィクションでも猫が死ぬようなものは見ないし、映画レビューなどの仕事がきたらまず「猫は死ぬか?」と聞くし、死んでたら断る。
私と同じ感覚の人間も少なくないようで、世の中には、作中で犬や猫などの動物が死ぬか否かをまとめたデータベースがあるようだが、とてもありがたいことである。
それに対し「人間が死ぬのが地雷」と言っている人はあまり見たことがないが、それは当然だろう、むしろ人間が死なない方が納得いかないぐらいだ。
しかし一方で、1年ぐらい前に、1巻あたりで言えばゴールデンカムイよりも動物が命を落とす短編漫画集を出した。
見るのはダメだが自分で描くのは良いのか、と言われると「もちろんダメ」である。
自分が描いた動物が死ぬ話で泣いていた、と言うならまだ辛うじて理解できるかもしれないが、理屈で言うと「自分で描いたエロ絵で抜いていた」のと同じなので、少なくともあまり健康に良くない行為である。
幸いこの本に関しては読者からも「泣いた」という感想を多数いただいたのが幸いである。さもなければ、自分だけが抜けるエロい絵をみんなに見せていたということになってしまう。