漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「発達障害」である。
いきなりセンシティブなテーマで申し訳ないが、突然そういうテーマがよこされたのだから仕方がない。
しかし、発達障害のことを「センシティブ」と言ってしまうことにまず問題があり、偏見を助長させているのかもしれない。
だがその前に私が「センシティブ」という言葉の意味を知らずに使っている、という大きな問題がある。
このように、未だに、大量のエクスキューズと「※個人の意見です」という注釈が必須なのが「発達障害」の話題である。
何故突然こんなテーマが来たかと言うと、もう皆さんご存知の通り、と全員知っている体で話し始めてしまうのがクソ中堅の悪いところだ。
常に「名前だけでも覚えて帰ってくださいね」で始める40過ぎの若手芸人を見習って最初から説明させてもらうと、私は2年前ごろから某クリニックに通院を始め、そこで「発達障害」という診断を受けた。
そしてその模様を記したエッセイ漫画が今年発売された。
つまりただの宣伝だ。お前らがその本を買って燃やしてまた買いさえすればこの話はもうおしまいである。
しかし、ここで話を止めてしまうと、発達障害とは書物を買って燃やせと恫喝する人だと思われてしまう。
このように、発達障害だと名乗ってしまうと、発達障害がみんなこういう奴だと誤解を招く恐れがあるため、そのエッセイ関連の話以外では自分が発達障害だとあまり言わないようにしているし、もちろんリアルでも自分から言うことはない。
よって、皆さんも私の名前は覚えなくて良いので、書物を買って燃やしてまた買えと恫喝するのは、発達障害ではなく、ただの「売れてない作家」であるということだけ覚えて帰ってほしい。
不用意に発達障害と名乗らないのは、偏見を助長したり、逆に偏見の目で見られたりと、己に不利益があるかもしれない、というのもある。しかしそれよりも、相手が「いきなり、そんなこと言われても困る」ような気がするのだ。
まず、発達障害という言葉自体は割と広まって来ており、知っている人も多いと思う。しかしそれについて、具体的に知っているのはまだ当事者とその家族や周囲ぐらいのものだと思う。
逆の立場で考えてみて、もし大してつきあいの深くない相手に突然「ペッチョリーナ症候群なんです」とだけカミングアウトされたらどうだろうか。
それが何なのか、そしてこっちはどうしたら良いのか皆目見当もつかないが、言われたからには何かしら気を使わなければいけないような気がするし、そうしないと「配慮の足りない人間」扱いされてしまうかもしれない。
つまり相手にとって「正解でも特に何もありませんが、不正解だと俺の機嫌が悪くなります」という不利益しかないクイズを出されただけになりかねないのである。
自分が発達障害であることを周囲に言うか、否かは意見の分かれるところであり、言わない派の意見としては「言うメリットがない」というのが多い。
一方で言ったことにより、生きやすくなった、という人も多い。
しかし、言ったことによる相手の反応というのは相手次第なため、かなり「運ゲー」の要素が強く、負けを回避するために言わない人も多い。
ただ、言ったことでメリットがあるにしても「自分のメリット」だけ考えていたら結局上手くいかなくなる可能性が高い。
言うならば相手にも「うま味」がなければいけないのだ。
つまり「発達障害なんです」と言うだけでは「各自発達障害について勉強し、私が生きやすくなるように振る舞ってください」という、笑点のお題みたいになってしまい、スベる、というリスク込みでただ大喜利をやるというのは相手にとってなんのメリットもない。
よって言うのであれば「私は○○なので、××してしまうことがあるかもしれませんが、角材で殴れば大人しくなります」という、攻略法まで言うべきである。それをせずに名乗りを上げただけでは余計「腫物」になってしまう恐れがある。
そこまで言えば、相手も「何でこいつはこうなんだ」という得体の知らないものへの怒りから「○○だからこうなんだ」という明確な怒りに昇華することができ、さらに「いざとなれば角材で殴ればいい」という対策を知ることで接しやすくなるというメリットがある。
むしろ、対策まで言えない、もしくは対策がないようであれば、言わない方が良いような気もする。
対策がないとなると「私って毒舌な人じゃないですか」という、自分はこういう人間であり、変えようがないからお前らが我慢しろと言っているように取られる恐れがある。
私も今のところ「角材で殴る」以外の自分の攻略法が見つからず、さらに何故か「殴った方が罪に問われる」というのが現状のため、あまり表だって言えない状態だが、何か有効な対策、もしくは法律の方が改正されたら積極的に公表していくかもしれない。