漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
周知の事実とは思うが、私の本業は「他人の不幸ソムリエ」である。
ただ職業チェック欄にその項目がないため便宜上「無職」に丸をつけているだけだ。
「他人の不幸ソムリエ」とは他人の不幸をテイスティングして「『同情の余地』という澱が強すぎてイマイチ」「一点の曇りもない『自己責任』100年に一度出るか出ないかのキングオブ他人の不幸」「こいつの不幸に飼っているおキャット様が巻き込まれかねない時点で価値ナシ」などと品評する仕事である。
もちろん、他人の不幸は待っていてもやって来ない、自分の足で探しにいくものだ。
よって私はまだ見ぬ他人の不幸を探すため、ネットの海を日夜彷徨っている。
ネットに転がっている話には嘘も多い。
しかし他人の不幸界隈にとって、嘘か本当かは大して関係ない。むしろ本当の話でも面白くない上に嘘くさかったら嘘以下である。
嘘でもこちらの舌を唸らせ、嘘だとわからなければそれでよいのだ。
たまに読者が私の漫画のキャラを描いてくれることがあるが、大体私より上手い。それと同じことである。
しかし、ネットにいる不幸な人というのは、自らが自分の不幸ぶりを発表している人と、ライターが不幸な人を取材して記事にしているタイプの2種類だ。
まず、自分の困窮ぶりを撮影してネットにアップする余裕がある時点でそこまでヤバくないのは自明である。
取材型も取材されるということは、何かしら他者との繋がりはあるということだし、取材きっかけで現状が打破される可能性もなくはない。
そしてどちらにしてもアクセスを増やすために「盛っている」ケースも多いのである。
だが本物の不幸はその2種類の下にあり、まだ発見されてすらいない前人未踏の他人の不幸があるはずなのだ。
つまり、本物の不幸ソムリエが求める不幸はネット上にはなく、己のフィールドワークで探すしかないのである、
そう言った意味では、ネットという偽物だらけのゴミを漁って「ふうむ」「これは」とか言っている私の姿の方が、本物の不幸ソムリエのお眼鏡に適うかもしれない。
そんなわけで今回のテーマは「ネットニュース」である。
今までの話と全く関係のないテーマのように思えるかもしれないが、実際あんまり関係ないかもしれない。
私は他人の不幸探しにYouTubeも利用しているが、膨大な数の動画の中から何を基準に選ぶかというとやはりタイトル、そして「サムネ」である。
しかし、サムネで「衝撃の転落人生!」みたいな、不幸ソムリエ垂涎の文言が並んでいても、実際は「階段があと2段残っているのに最後のつもりで降りてしまい足をグニャる」程度の内容がほとんどなのだ。
何故かというと動画が再生されるか否かはサムネでほぼ決まるため、サムネに一番面白い部分をさらに盛って載せるのである。
一番イケてるショットをさらにフォトショップで加工してAVのパケに使うのと同じだ。
つまり、本編にサムネ以上のものはなく、時に「パケと別人じゃねえか」というパケ詐欺やサムネ詐欺が起こってしまうのだ。
しかし、数が多い中で選ばれようと思ったら、サムネやパケで人の目を引くしかないのである。
ネットニュースも同様であり、本文を見てもらいたいなら過激な見出しで目を引くしかない。
しかし、AVのパケと中身が別人という事故があるように、ネットニュースも見出しと内容が全く違うということがたまにあり、逆に意図的に内容を誤解させる見出しにしているようなものもある。
猫原理主義過激派大臣が「おキャット様に比べれば、人間は男も女も全員愚か」と発言したとしたら、それは適切な発言である。
しかし適切すぎて「何を今さら」と思われ、人々の関心を引けそうにない。
よって見出しには「大臣が『女は愚か』と発言」とだけ書かれてしまったりするのだ。
本文まで読めば、適切な発言であるとわかるのだが、見出しの時点で正気を失ってしまう人も多いため、見出しだけが広まってしまうことも多い。
またエロ漫画が作中で一番エロいコマを広告に使うように、ニュースも不愉快なニュースなら最も不愉快な部分を見出しに使う。
その結果ネットニュースが「どれを選んでも不愉快」と言わんばかりの不愉快見本市になってしまったりするのだ
不愉快好きの人からみれば、宝島だろうが、大体「見出しがクライマックス」であり、見出しと内容が全然違う場合もあるため、クリックすると大体がっかりすることになる。
それが続くと「ネットニュースは見出しだけ面白そうで、内容はつまらないから見ない」という風になってしまう。
そして不愉快嫌いの人は、見出しの時点でノーサンキューとなってしまい、当然内容までは見ない。
その結果、ニュース自体全く見なくなり、私のように一日中様々な情報が流れてくるネットに張り付いているくせに世の中で何が起こっているか全く知らない、令和の横井庄一みたいな人間が生まれてしまうのだ。
見出しやサムネで目を引くという手法は悪くないが、内容と大きく異なるものを発信し続けると信用も関心も失ってしまう。
ぜひ「見出しがピーク」ではなく、不愉快な見出しに魅かれてクリックしたらもっとすごい不愉快が出てきた、という記事を作ってほしい。