漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「ホワイトデー」である。

これを書いているのが3月12日だ。

おそらく2日後、夫から、そこら辺で買ってきたケーキ類をもらうだろう。もしかしたらコンビニスイーツ数点かもしれない。

そういう私も今年のバレンタインデーは全てコンビニで調達したものを夫にあげた。

せめて駅ビルとかで買えよと思うかもしれないが、それは駅にゴデバが入っているのが当然と思っている奴の寝言だ。我が村の駅にはういろうしか売ってない、もしくは無人である。

そもそも私の夫は甘味があまり好きでないため、どんなに有名な店のスイーツを買い与えたところで、平気で1カ月ぐらい放置したりしている。

そして私は長い間放置されている菓子を見ると、末っ子クソ魂のせいで「これは俺のものでは?」と錯覚してしまうのだ。

実際、自分が買った夫へのバレンタインプレゼントを自分で食う、ということも1、2回あったような気がする。

よって今回は、バレンタイン感は無視して夫の好物を買い与えることにした。

まず夫はビールが好きなので、ドラーイとモルシのロング缶を1本づつ、そして夫がつまみによく買っているチーズスナックのちょっと良い奴を買った。

そして甘味の中でも辛うじてチーズケーキは好きらしいので、スイーツコーナーで袋に入ったチーズケーキみたいなものを購入した。

正直なところ、金額は例年のバレンタインより高くなっている。

しかしバレンタイン感は全くない。会計した店員もこれがプレゼント用とは思わなかっただろう。

むしろ「こいつ、今夜家に誰もいないから1人でイカれたパーティだな?」と思われたかもしれない。

それらをコンビニ袋(エコバック忘れた)に入れて帰宅、机に並べて「今年のバレンタインプレゼント」とした。

あげた物は私が「俺の物では?」と錯覚する間もなくなく消えていたので、夫の好みであったことは間違いない。

しかし夫がそれを「例年より喜んでいたか」は不明である。

ちなみに去年は、同じコンビニのバレンタインコーナーでバレンタイン用のチョコを買って与えていた。

どちらにしてもコンビニで買っているし、チョコなど与えても白い粉が浮くまで放置されるだけなのだが、やはりバレンタイン用のチョコは「バレンタインのために買った感」がある。

片や今年のバレンタインセットは、金もいつもよりかかっているし「夫の好みを考慮」という時間もかけているのに「自分の甘いパンを買いに行った時、はじめて今日がバレンタインと気づいて慌てて買った感」がある。

もし夫が、内容より「バレンタイン感」を求めているとしたら、今年のバレンタインプレゼントは失敗だし「今年は手を抜いてきてな」と思われた可能性すらある。

今年は、ではなく、今年も手を抜いてるだけなのだが、プレゼントというのはチョイスをミスると逆に評価を下げてしまうから難しい。

一番うれしいプレゼントは「現金」という人は多いだろう。

確かに、現金を渡せばそれで本人が欲しいものを買えるのだから、これ以上の正解はない。

しかし現金を渡されたことにより「何をプレゼントすればお前が喜ぶかなんて考える時間がもったいないし、それを自分で用意するのも面倒くさい」と言われたように感じてしまう人もいるのだ。

つまり「これで1人でお楽しみ下さい」と、大人のトーイを投げつけられたような気分なのである。

例えそれが最高級セクサロイドだろうと、相手が求めているのはそれではないのだ。

どんなに下手くそでも、相手が「あいつはこれがイイに違いない」と、思考や時間を割いてくれるのが嬉しいと感じる人もいるのである。

プレゼントは気持ち、というのはキレイごとではなく、誕生日プレゼントも何をあげるかより「俺はお前が取った年の数を覚えているぞジョジョー!」と示すことに意義があったりするのだ。

しかしプレゼントに「あげる方の自己満足」を挟まないというのも難しい。

相手に喜んでもらいたいと思っていても、そこには少なからず「相手の喜ぶ顔をオカズに興奮したい」という気持ちがあるし、仕事先に手土産を渡す時も「社会性のある俺」に痺れてしまっている。

さらに「相手に喜んでもらいたい」の部分まで勘違いすると「フラッシュモブでプロポーズ」など、純粋な自己満足な上に、相手にとってはプレゼントどころか玄関先に虫の死骸を撒くレベルの嫌がらせになってしまう場合もある。

しかしプレゼントが気に入らなかったからと言って、明かに不機嫌になるのもどうかと思う。

プレゼントというのは、いわばあげる方ともらう方の「プレイ」である。

あげる方は「もらって良かった」と相手が思えるものを選び、もらう方も「あげて良かった」と思える喜びの表現と感謝を忘れないようにしなければいけない。