漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「弁当」である。
「飯は作ってくれ」
私の夫は「言っても仕方がない、声帯の無駄遣い」と思っているのか、あまり私にああしろこうしろとは言わない。
そんな夫が「保険関係の仕事には就くな」に続いて、結婚前に私に言ったのが前述の通り「飯は作れ」である。
ちなみに保険関係の仕事に就くな、というのは自分が保険関係の仕事で苦労しているからである。
我が家は夫婦別財布なので詳細はわからないが、おそらく夫は会社からもらった給料を「保険料」としてほぼ会社に返納しているのではないかと思う。
そして保険の苦労は身内にまで及ぶ。
私はソシャカスであり、毎年結構な額をガチャに使ってはいるが、保険料、そして税金に比べれば微々たるものである。
つまり私の最推しはJPGのイケメンではなく保険会社そして「国」ということになる。
今度「給付金おかわり」のうちわとペンラをもってライブ(会見)に行こうかと思う、義偉のカラーは何だろうか?
また、保険関係の人間と結婚すると知らない内に相手が保険を増やしているのはもちろんのこと「知らない内に自分が保険に入っている」という、松本清張や黒い家みたいなことが平気で起こる。
一昨年ぐらい、夫が車の積み立てを勝手に保険に回していたと発覚した時は、大竹しのぶばりの発狂をすることになった。
あとノルマがきつい保険外交員は、客にちょっとでも高い保険料を支払わせるため、そんなに必要でないトッピング保険を二郎級に載せようとしてくるが、それを平気で配偶者に仕掛けてくる。
「今入っている保険にこの特約をつけよう、保険料はちょっとだけ上がるけど」みたいな話が毎年出てくる。
よって、いてもいなくても大して影響のない私に「国の重鎮」レベルの保険がかかってしまっているのだ。
保険に入る時は、ちゃんと保険について勉強し、自分に何が必要か調べて、何に入るか決めてから保険屋にいかないと高額な保険料を払う羽目になる。
保険外交員個人が悪いわけではなく、苛酷なノルマがあると、客にとって何が良いかより「どうやって1円でも多く支払わせるか」になってしまうのだ。
ちなみに「身内が保険関係で苦労した」は私だけではなく、私の実家も同様であった。
私のママのマザー、つまりババアの妹が私の夫と同じ仕事だったため、先日夫と実家に行った時、母が「ババアもありとあらゆる保険に入って、保険料を払うのに苦労していた」とこぼしていた。
「いいぞもっと言え!」と思ったのだが、その後で「しかし最終的に『保険に入っていて良かった』と言っていた」と言い出したので「おい、ババアの娘! 余計なことを言うな」と思った。
確かにババアは最終的(92歳)に「大量の保険に入っていて良かった」という無我の境地に達したかもしれないが、我々はそこまでの高みに到達できるか不明だし、50年後より今を大事にしたい。
1人保険の仕事をやっている奴がいるだけでこれだけ大変なのに、それが2人となったらもはや殺し合い以外ありえない。
「保険の仕事はやるな」と夫が言うのもやむなしだ。
テーマは「弁当」だったはずだが、私は「保険」という言葉を聞くと瞬時に黄色のニット姿になって我を忘れる奇病を患っているのだから仕方がない。
夫が「飯は作れ」と行ったのは「飯以外をほぼ自分がやることになる」という未来を予見してのセーフティネットだったのかもしれない。
実際結婚して10年になるが、唯一飯と弁当だけは今も続いている。
しかし、弁当と言っても最近は「おにぎらず」2つに「サラダ」という簡単なものになっている。
夫の仕事が一時期忙しい時があり「仕事しながらでも食べられる、おにぎりとかがいい」となったのだが、夫も私に「おにぎり」などという三ツ星シェフが作るような高度な料理は無理、と理解していたのか「おにぎらず」が簡単に作れる枠を買って来てくれたのだ。
確かにこれを使えば私でも、米を4粒ぐらいしかはみ出さずにおにぎらずを作ることが可能である。
そして「米や食材に直接触らなくて良い」というのがいい。
私は触ったものみな腐らせるでお馴染みの「腐り手」の持ち主であり、私が素手で握った握り飯を持たせるというのは、それこそ保険金殺人の始まりになってしまう。
おにぎらずは米はもちろん、食材にもほとんど触れなくて済むところがかなり画期的である。
おかげで今のところ「おにぎらずが腐っていた」という報告は上がっていないのだが「サラダ」の方が腐っていることはままある。
逆にここまで、飯が腐っている私に「もう飯は作るな」と言わないのがすごい。
やはり「結婚は忍耐」それだけははっきりわかる