漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「カレンダー」である。

無職はまず昼夜を見失い、次に曜日、季節、最終的に「年」の概念がなくなっていく。 おそらく常人からすると「何十年もひきこもり」と聞けば、よくそんなことが出来る、途中で狂うだろう、と思うかもしれないが、ゆっくり狂っていくので安心してほしい。

しかし私は無職と言えど、このように文章など書いて小銭を得ていたりもする。

それに関して無職などと嘘をつくな、というお叱りはごもっともであり、先日もプロ無職の方に「1カ月の収入がゼロになってから言ってほしい」と無職マウントを取られ、何も言い返せないという無様を晒した。

だが、何度も書いているが、無職と名乗れば面白いだろうという、紀元前のギャグセンスでそう言っているわけではない。

会社員の場合、会社を辞めた時点で無職、などはっきりしているが、フリーランスと無職の境目は、何回メガネを拭いて見てもうすらボンヤリしているし、全盛期のオスマンサンコンでさえ二度見するレベルで判然としていない。

よって、自分の仕事を長々説明しても「それは無職と何が違うの?」と言われてしまうケースがあるのだ。

そう聞かれたら「何が違うんでしょうね?」と、質問を質問で返すボンクラムーブをしてしまい余計「無職感」が出てしまう。

つまり、有職者だと言った方が「無職の癖に無職じゃないと言い張って就職を拒んでいる奴」と思われ、余計「親戚に1人はいる、何をして食っているのか不明で、定期的に音信不通になるおじさんポジ」が盤石化してしまい、あらゆるコミュニティに居づらくなってしまうのだ。

都会であれば、フリーランスという生き方も珍しくないので、そんなに奇異には映らないかもしれない。

しかし、我が集落では本当にレアであり「フリーランス」と名乗るぐらいなら「組に所属している」と言った方がまだ、説得力があるし、それ以上の質問が出てこなくてグッドなのである。

未来ある若人であれば、無職と言ったら「ちゃんと就職しないとダメだぞ!」と言われることもあるかもしれないが、中年を過ぎると、わざわざそんなことを言ってくれる人などほぼいないのである。

中年になると、無職と名乗ることで「今何をしてるんですか」「何もしてないです」「ははあ、ゆっくりできていいですね」の1.5ターンで終了という、攻略サイトに載せて良いぐらいの最速クリアが可能になってくるのだ。

つまり、本当は衛腐乱大学中退なのに慶応卒と学歴を高く詐称する感覚で「無職」という威を借りているのである。

そんなわけで、これからも文春砲に怯えながら無職と名乗らさせていただきたい所存なのだが、原稿という仕事がある以上、締め切りという概念がある。

その概念を具現化するために「カレンダー」というのは不可欠な存在のように思えるが、我が家で機能しているのは、締め切りではなく、プラゴミの日をお知らせするゴミカレンダーのみである。

毎月その月の予定をカレンダーに書きこむのも高度だが、それ以前にカレンダーは「めくる」という「殺し」と言わざるを得ない難しいことを要求してくる。

よって我が家の卓上カレンダーは大体5月ぐらいで時が止まっており、さらに2018年ぐらいのものが永遠に存在してしまったりする。

使い終わったカレンダーを「捨てる」というのもなかなか難易度が高く、さらにそれを「新しいものに変える」となったら、クリアした時貴重なアイテムが貰える、というのでなければ挑戦する気も起きない。

よって私は、前にも書いたが、ホワイトボードにイレギュラーな締め切りを描きだし、定期連載の締め切りについては「多分今日は木曜だから、おそらくこの原稿をやれば良い」という職人の勘でやっている。

勘でやるより締め切りを確認した方が早いとは思うのだが「おそらく自分はドブスだろうな」と、勘付いてはいても、それを鏡で確認するというのは勇気がいる。

さらに、確認した時点でやる気をなくしたり、最悪自ら命を絶つ恐れがある。

よって、作家は無事に原稿をあげるために「あえて締め切りを確認しない」という高度な判断が求められるのである。

さらに「担当の催促をアラーム代わりに締め切りを確認する」という方法もある。

ただしこの方法は「担当も締め切りを忘れている」場合完全に詰み、連載が消滅する恐れもあるので、いい加減な担当には使ってはいけない。

このように、編集者は「締め切りは○日」と指定することで、作家の生活と精神を乱し、最悪命の危機に晒しているということもっと自覚してほしい。

だが「お手すきの時に」などというと、永遠に出さないということも覚えておけ。