漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「エンディングノート」である。
なんの脈絡もなくこのテーマがきたとしたら怖すぎるが、私が別媒体で「終活」をテーマにした漫画を描いているからだろう。
これはこれで大して喋ったこともない会社の同僚に実は裏アカまで押さえられているような別の怖さがある。
エンディングノートとは死ぬ前に書き残しておくノートのことだ。
しかし妻に愛してるとか「友に感謝!」みたいなボーボボ人気投票第2位みたいな、ポエムを書き残すためのノートではない。
葬式はどういう形式で誰を呼んで欲しいか、そして誰を呼んで欲しくないか、など、自分の死骸をどう燃やして埋めるか指示を残したり、銀行や保険など死後手続きに必要な情報を書いたりするためにある。
つまり自分のためというより、残された者たちが困らないように残すノートである。
しかし「死ぬこと前提」という特性上、子どもが親などに「そろそろエンディングノートのご用意を」と言い出すのは非常に難しく、結果銀行口座を一つ解約するのに3時間待合室で腕組みする羽目になるケースが多い。
しかし、死ぬことが前提になっていない人間などこの世に存在しないのである。
己が死んだあとのことなどどうでも良いかもしれないが、エンディングノートを残さなかったせいで、大学2年の夏に彼女をNTRれたあいつが葬式に参列したり、秘蔵の推し写真集をブックオフられ「10円」ならまだしも「汚損が激しいため買取不可」と突き返されたりする様を想像したら嫌だろう。
また、終わりよければ全てよしというように、やや乱れた妖精だった人でも、最後に自分で死に支度をして、残された者に面倒をかけなかったというだけで印象が「きちんとした立派な人」に上書き、または改ざんされるケースもある。
もちろん「この程度のことで今までのことをチャラに出来ると思うなよ」とお怒り2倍チャンスに成功してあの世に旅立つ人もいるが、何だかんだで人々の記憶に残るのは晩年の姿なのである。
逆に、立派な父親で通してきた人間でも、銀行での待ち時間が1時間増すごとに「面倒をかける父親」という印象に変わってしまうし、押し入れやパソコンから秘蔵の女相撲写真がザクザクと発掘されて、最後の最後で家族に落胆される人もいる。
この「死後にお宝を見られて家族に幻滅される」人は非常に多いという。
これを防ぐには死ぬまえに処分しておくか、平素からパンツをかぶって生活するなど家族に「そういう人」と思われることにより、何が出て来ても大して驚かれないようにするかだ。
後者の方が確実ではあるのだが、死後の己の評価のために、生前を捨てるという捨て身の術なので素人にはあまりお勧めしない。
中学生のころ、お母さんに「勉強しなさい」と言われることにより、完全に勉強する気を失ったように、エンディングノートも親族に「書きなさい」と言われたら「ぜってー書かねえ、てめえは銀行の待合室で1日を終えろ」という反抗心が芽生えてしまうに決まっている。
しかし、反抗したところで、家族が困り、自分の評価が落ちるだけなので、家族に言われるまでもなく自分の意志で書くのがベストだろう。
このエンディングノートだが、人生の終わりが見えてから書き始めるものという印象があるかもしれない。しかし実際は若いころから書いておき、諸事情で宗教が変わったり、葬式に呼びたくない奴が増えたりするごとに更新していくことが望ましい。
また、エンディングノートを作っておくと残された者だけではなく、自分にとっても役に立つことがある。
最近はスマホに頼り切りで自分の電話番号さえ覚えていないという人間が少なくない。
そういうタイプはスマホのデータを失った瞬間、実質天涯孤独になってしまう。
エンディングノートは己の情報や死後連絡してほしい人間の情報を書きこむ欄があるので、それがそのままアドレス帳にもなるのだ。
またガスや電気携帯代だけではなく、故人が何らかの会費を毎月払っているが、それが何なのかすらわからないので解約もできないという問題もある。
それを防ぐために最近のエンディングノートには、死後解約してほしい会費やサブスクのID・パスワードを書きこむ欄がある。
しかし、IDやパスワードがわからないから解約できないというのは、遺族だけではなく、本人にもよく起こる現象である。
今も、サポセンに問い合わせる面倒臭さより、月500円ドブに捨てることを選んでいる人は多いだろう。むしろサブスクの主な収入源はそこなのではないだろうか。
何かに登録するたびに、エンディングノートにそれを記しておけば、自分が忘れた時にも見返すことができる。
つまり、エンディングノートは、自分のための総合的備忘録にもなるのだ。
死後のことなどどうでも良いという人も多いかと思うが、死後は良くても、生きている間に死ぬまで500円をドブに捨て続けるのは嫌だという人は、自分のためにエンディングノートを作成しても良いのではないだろうか。