漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「冷凍食品」である。
私は料理が好きでもないし、正直作る飯がマズいのだが、それ以上に「自室神推し同担拒否過激派外出×自分は地雷即ブロ」なので外食は極力しないし、買い物もできるだけしたくないので惣菜もあまり買わず、毎日不味い飯を作り、夫に食わせ、自分はレトルトのパスタを食うという生活をしている。
だがこれでも先日結婚10周年を迎えたので、やはり結婚生活を長持ちさせるコツは「男塾主席卒業レベルの忍耐強いタイプを選ぶ」の一言に尽きる。
その点で言えば夫はかなり忍耐強いのだが、最近「諦めるのが異常に早いのでは」という逆説も出てきたので、結婚相手を探す際は参考にしてほしい。
しかし、最近「ホットクック」を購入したことにより、若干夫の食生活が改善されたように思える。
ホットクックとは、材料を入れてスイッチを押せば料理が出来上がるという便利家電である。
道具がどれだけ進化しても使う側の「レシピを見ない」という根本が解決されていないため、たまに「調味料を作ったのか?」というぐらい味が濃くて食えないものを爆誕させてしまうが「火が通っていない」ということがなくなっただけでも大きな進化だ。
そして昔は味付けをクックドゥ的なクックドゥより安い奴に任せていたが、今は調味料を使っている。その結果、この世の大体の料理は、しょうゆと砂糖、みりんと酒で煮てあるという知見を得た。
逆に言えばスチールウールとかでもしょうゆと砂糖で煮れば食べられるということだ。
しかし、ホットクックでもどうにもできないことがある。
それが「腐敗」だ。
ホットクックに腐った食材をいれると腐った料理が出来てしまうのである。
そして私の手にかかればホットクックに入れる前までは腐ってなかったものが、出来上がるごろには腐っている。
もしかしたら私自身が、食材を自動的に腐らせてくれる便利家電なのかもしれない。
そして、夫は前述通り、我慢強い、もしくは全てを諦めて生きているが、確認できただけでも地雷が2つある。
それが、呼んでも返事をしないことと、食い物が腐っていることである。
呼んでも返事をしないに関しては無視しているわけではない。私は大体自室で、ワーキングプアとか不動産投資で大損した人の動画とかを結構な音量で聞いているため、本当に気づいていないだけなので容赦してほしい。
私は、自分より困っている人の声を聞きながらでないと仕事ができないのだ。
そして、もう1つは食い物が腐っていることだ。
もちろん腐っている物を黙って食うようになったらそれは、もはや諦めではなく病(ビョウ)だと思う。ただ、夫は妻が何の仕事をしているかはわからぬが、食い物が腐っていることに関してはメロスのように敏感なのである。
逆に私が腐った物を出すので、敏感になってしまい、食い物を出されたらまず匂いを嗅ぐようになったのかもしれないが、それは私以外の前ではやらない方が良い。
それでも、食卓に出した食事がリアルタイムで腐っている時はいい。腐っていると言われたら腐っている不味い飯を下げて、腐ってない不味い飯を出せば良い。
困るのは「弁当」である。
弁当は作ってから食うまで時間が経っているので腐りやすいし、何より私が作っているので、腐る確率が高い。
そして、弁当が腐っていた場合、夫は毎回それを私にラインですぐ伝えてくるのである。
毎回、そんな親が倒れたレベルの速報を送って来なくてもいいのにと思うが、もしかしたら世間の人は、一度言われた時点で二度とそのような過ちを犯さないものであり、これだけ何回も腐らせるのは、もはや親が死んだ以上の事件なのかもしれない。
先日ついに「腐ったものをいれることが多くないか?」という背筋の凍るラインが来た。
多分そんなラインを打たなければいけない側の心の方が凍傷になっているとは思うが、なかなか迫力のあるラインだった。
そんな弁当の腐りを防ぐ最適解が「冷凍食品」である。
もし冷凍食品を入れても腐るようなら、夫には他多くを諦めてもらったのと同じように、弁当も諦めてもらうしかない。
よって最近の夫の弁当はおにぎり2つに、刻み野菜と冷凍食品を詰めて持たせているのだが、この「刻み野菜」がまた儚い存在なのである。
もちろんパックになっている刻み野菜を使っているのだが、コイツの寿命一週間もない金曜日時点ではすでにチキンレースになっている。
ここで「まだイケる」の方に賭けてしまうのが、食う側への思いやりがなく夫の怒りの原因のような気もするが、何せ買い物は多くても週1にしたいので、野菜を何回も買いにいくなどという高度な真似はできない。
ならばネットスーパーなどを利用すればいいと思うかもしれないが、俺たちのイオンも我が家への宅配は「圏外」なのだ。
ちなみに、出前館がうちに配達可能なものは「花」のみである。
今は、まだ車を運転できるからいいが、それが出来なくなった時、どう生きて行くか考えるより、葬式用の花を用意した方が早いということかもしれない。