漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「コロナ疲れ」である。
「新型コロナウイルス」なるものが登場してから早や半年近く経とうとしている。現在でも都会を中心に、ある意味緊急事態宣言前よりも勢いよく感染者が増えているような気がするのだが、どうやら人々も「コロナにビビるのに飽きた」ようだ。
実際、深刻度は緊急事態宣言中とあまり変わらないのに、再度厳格な自粛ムードになることもなく「逆に考えるんだ、罹ったっていいじゃないか」というノーガード戦法を取る人も増えてきたし、リモートワークに切り替えていた企業も「いつからリモートがデフォルトになると錯覚していた?」という動きで、社員すら気づかない内にいつもの「出社制に戻っているところも多い。
もちろん今でも慎重な人は多いが、一時期に比べコロナ感染に対し大らかになっているような気がする。
しかし「コロナに感染した人」に対しては依然激辛であり、クラスターを出した会社や学校には抗議の電話が殺到し、コロナを出した家は刃牙ハウス状態になっているという噂だ。
軽率な行いで感染した人も確かにいるかもしれない。だが、性病ですらセクシー行為なしで感染してしまうものもあるのだ。どれだけ気を付けていてもなる時はなるのが病気、そしてコロナだ。
コロナ感染者に石を投げると言うのは、今後コロナもしくはカンジタに罹るかもしれない己に石を投げるのと同義である。
このように、コロナウイルスによる健康被害だけでも脅威なのに人間にまでも攻撃されたり、コロナに罹らなかったとしても仕事がなくなったり、自粛生活で家庭不和になったり、コロナは我々の生活に全方位で大きな影響を与えている。
ただ、コロナウイルス氏に言わせれば「お前らの貧乏や離婚まで俺たちのせいにするでない」であり、我々人間の言いがかりぶりと現在の惨状に「こんな陰湿な生き物なら、そりゃ他県ナンバー狩りとかやりますわい」と「納得」されていらっしゃるかもしれない。
コロナさんに名誉棄損で訴えられては敵わないので、「コロナ(の影響で勝手に)疲れ(ている愚かな人間)」と訂正しておくが、疲れているのは確かだろう。
そう言いたいところだが、私個人は、特にコロナで疲れているわけではない。 何故ならここ10年ぐらい、疲れている日とすごく疲れている日しかなかったため、例えコロナで疲れていてももはや誤差の内なのである。
このように、人生を常に「曇りのち雨、高湿度、レジャーシートが飛ぶぐらいの風」という天候としては地味なのに不快度指数だけがやたら高い状態にしておくことで、災害がきてもそこまで酷いストレスを受けなくて済むのである。
また何度も言っているが「無職」ほど安定している職業はないのだ。 収入は言うまでもなく安定しており、常にゼロという意味で芸術点も高い。
さらに安定しているのは収入だけではなく、生活面でも影響を受けにくい。 実際今回出された「自粛要請」は無職にとって「いつも通りにしとけ」と言われたようなものなのである。 生活が変わらないならメンタルも大して変わらない、つまり精神面でも無職は安定しているのだ。
安定した職業と言えばまず公務員などが思い浮かぶかもしれないが、おそらく今回のコロナ禍で、公で働く人は大変だったのではないかと思う。 収入面では安定していても、決して生活や精神も安定しているとは言えないのだ。
むしろ、収入、生活、精神の三つが安定している職業など「無職」以外ありえないのではないだろうか。
ただ、無職という職業に就くのは難しい。
無職になるのは簡単だが、無職という職業で1人で生きていくのは宇宙飛行士レベルで難しいので、積極的にはお勧めしない。
確かにコロナの影響により、我々の生活は(勝手に)不自由になり、おのれコロナという気持ちを持っている人も未だ多いだろう。
しかしオノコロオノコロと、グラタンコロッケバーガーのCMみたいなことを言い続けてもコロナが去るわけではない。
オレ、このコロナが去ったら宮古島に行くんだというような希望、もしくは死亡フラグを立てるなど、現状を嘆くより先の楽しみを見た方が良い。 また、今のコロナ生活をただ、我慢で過ごすよりは、こんな状況でもストレスなく過ごせるライフスタイルを確立した方が良い。 そうすればまた同じようなことが起こっても疲れずに済む。
ちなみに私は最近ネットで「不動産投資に失敗した人」の話を見るのにハマっている。
このように、外に出られなくても楽しいことはたくさんあるのだ。 この「世の中の動向や他人に左右されない楽しみ」を持つことが、無職のように安定した人生を送る第一歩である。