漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「ファンレター」だ。

ご存じの通り、今はインターネットがあるし、作家個人がSNSのアカウントを持っていることも多い。

特に私はツイッターを1日68時間やっているので、何か言いたいことがあるなら、わざわざ手紙など書かずに、ツイッターにリプしてくれれば0.5秒で届く。

そんな世の中で、あえて手紙を書いてくれる読者には感謝である。

履歴書は手書きじゃないとやる気が伝わらない、料理は手作りじゃないと子どもがかわいそう、など、お気持ちを盾に他人の時間を奪おうとする奴は、「石」など出来るだけアナログな方法で処してやろうと思うが、本人が気持ちを込めて手作りや手書きする分には構わない。

受けとる側だって、ツイッターのリプよりも手紙の方が重みを感じるのは確かである。

特に私の場合、手紙に「グーグルプレイカード(現在はアイチューンカード)」が入っていることがあるので余計感じ入るし、逆に手紙が入っていなくても感動を禁じ得ない。

そんなわけで、今までいただいたファンレターは全部取ってある。

ちなみに私も、昔漫画家にファンレターを書いていた頃がある。

何を書いたかは覚えていないが、なにせ小中学生の時だ、キャラの下手くそなイラストを描くぐらいならまだ良いが、感想もそこそこに壮大な自分語りを始めている可能性が非常に高い。

よって私がファンレターを出したことがある作家に「いただいた手紙は全部とってある」と言われたら「今すぐ燃やせ、さもなくば、お前の家ごと燃やすぞ」としか言いようがない。

私に手紙を出した人の中にも、すでに私にファンレターを出したという事実と記憶を、本人の家ごと焼却したくなっている人もいると思う。

このように、手紙というのは、気持ちもこもっているが、痛さもネット上のテキストの比ではないため、慎重に書いて欲しい。

ただ、書いた側にとっては、いずれ暗黒絵巻(微笑)でも、受け取った側からすれば、いつまでたっても励みである、というのも事実である。

しかし、私は「読者の民度が高い事だけが取り得」と言われており、手紙を書いてくれる人も落ち着いた大人が多いため「これは10年後恥ずかしくなりますぞ!」というような、将来有望なファンレターはほぼ貰ったことがない。

印象深かったと言えば、内容ではなく、刑務所からファンレターが届いた時かもしれない。

受刑者の人が服役中に私のコラムを読んで手紙を書いてくれたのである。

塀の中から書かれる手紙と言ったら、家族や恋人友人宛を想像するが、見ず知らずの漫画家に送っても良いんだ、という学びがあった。

内容については、書かない方がいいと思うので書かない、というか、その人が読んだものが、私の作品の中でも群を抜いて低俗な「下ネタしか書いてないコラム本」だったため、手紙の内容も8割ぐらいは下ネタであり、刑務所からの手紙に「バイブ」とか書いていいんだ、という学びがあった。

むしろ刑務所から届いた、という特別性に気を取られて気づかなかったが、これはただのセクハラレターなのでは、という気もしてきた。

つまり、感動するようなところは一片もない話である。なかなか東野圭吾時空のようにはいかない。

手書きや手作りは気持ちを伝えやすい反面、恐怖を与えやすい気もする。

市販のチョコに髪の毛が入っていたら、不快なだけで済むが、手作りチョコに入っていたら深い意味があるような気がしてならない。

ただし陰毛はノーカンである。あいつは、特に理由もなく、いたるところに現れる。

よって、アイドルなどに認知してほしければ、ツイッターに大量のリプをするより一通手紙を書いた方が良い。

ツイッターだと、数あるクソリプおじさんの1人としか思われないが、手紙にすることにより、「うざい」から「怖い」という特別な感情を相手に抱かせることに成功するかもしれない。

ちなみにオワコンのように見えるファンレターだが、ライブやイベントなど、本人との距離が近い系のコンテンツでは未だに現役であり、アーティストやアイドルへの差し入れに毎回手紙を添えるという人も多いようだ。

現在ウィルスの影響で、ライブやイベントなどが中止になり、逆に「ライブって必要なのか?」という話まで出てきてしまっているが、読むかどうかは別として、本人に直接手紙を渡せるのは、ライブだけだと思う。そういう意味でもやはりライブ(生)は特別であり、意味がある。

アナログの方が言葉に重みがあるとしたら、逆にデジタルは軽く感じられてしまうため、会ったこともない有名人に突然罵声を浴びせることができるのかもしれない。

ツイッターで、クソリプやセクハラリプをする前に「その言葉を書にしたためて、本人に直接手渡しできるか」を考えたほうが良い。

出来ないならそれはデジタルでも言うべきことではない。