漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


今回のテーマは「歓迎会」である。

そうは言っても、今の状況である。

本来ならこの季節、スーツ姿の一目で新社会人とわかる無個性集団を見かけるものだが、入社式が中止という人もいるだろうし、入る会社が休業中という人もいるかもしれない。

入社したとしても当然歓迎会などは自粛であろう。

会社に早く馴染むチャンスがなくなった、と落ち込んでいる新入社員の方もいるかもしれないが、安心してほしい、馴染めない奴は10年在籍しても馴染めない。

よって、たかが1回の歓迎会で馴染めるわけがないのだ、つまり歓迎会があろうがなかろうが関係ない、ということである。

逆に、馴染む奴は、会があろうがなかろうが初日で馴染むので問題ない。

ただし、コミュ症ほど「あの時歓迎会さえあれば」と10年ぐらい引きずるし、むしろそういうところがコミュ症なのだが、ここは逆に「俺が未だに同期に敬語なのは歓迎会がなかったせいだから仕方がない」と、前向きに捉えよう。

だが、ウィルスの影響で歓迎会などの諸々の会が中止になったことを正直ラッキーと感じている人もいるのではないだろうか。

不謹慎かもしれないが、これだけコロナのせいで悪いことが起こっているのだ。1つぐらいコロナのおかげで良いことが起こっても罰は当たらぬはずである。

歓迎会はまだ意味があるとしても、この騒動のおかげで「一片の曇りもない不要不急の集まり」略して「いらん会」がやっと中止になったということもあるのではないか。

そういう会ほど何故か「この土地に住み続けたければ、命に代えてでも馳せ参じろ」という鎌倉武士みたいな信念で続けられたりするのだが、本当に命に代えるような事態になってさすがに中止や延期になっているようだ。

今回の件により「これ不要不急の集まりじゃね?」と薄々誰もが思っていた会合が、モノホンの不要であったことが各地で判明したと思う。

しかし、事態が収束したあと「あの会いらなかったから、もうやめよう」となるのではなく「安心して不要不急で無意味極まりないことが出来るようになったことだし、さあやろう」という最高に日本人な展開になることは何となく予想がつく。

私が歓迎会というものに参加したのは、新卒で入った会社で行われた2回のみであると記憶している。

1回は全社員との焼肉、2回目は新入社員と社長他偉い人との飲み会である。

新入社員と言っても、田舎の中小企業なので4人しかいなかった。

正直言ってこの人数が一番まずい、なぜなら「比較しやすくなってしまう」。

しかも男2人、女2人という、素晴らしく男女平等雇用機会均等に則ったフォーメーションだったため、私は自ずともう1人の女子新入社員と比べられることになる。

もう1人の女子社員はコミュ強であった。

「歓迎会」というよりは、実質私の「社会的通夜会場」である。

もう1人の女子が積極的に動き、偉い人たちの武勇伝を「深い…」という顔で慶弔している間、私は親戚のババアに「カレー沢ちゃんはいくつになったの?」と話しかけられるのを待っている、人見知り小学5年生の顔で鎮座である。

このように歓迎会が終わりの始まりになる、ということもめずらしくはないので、歓迎会が中止になったことは、会社に溶け込む機会の損失ではなく、むしろ延命されたと言ってもいい。

いつかは小学5年生であることがバレるのだが、それが入学式でバレるか、ゴールデンウイーク前にバレるかの差がある。

それに、歓迎会と言うのは歓迎する側も結構面倒なものなのではないか。

去年「忘年会スルー」という言葉が流行ったように、不要の飲み会をスルーする動きが大きくなっているが、真にスルーしにくい飲み会はこの歓迎会な気がする。

忘年会とか新年会というのは「年」という漠然としたもの勝手に忘れたり、迎えたりするただの奇祭なので、そりゃスルーしても良いだろうという気がする。

しかし「歓迎会」というのは、具体的に迎える人間がいるため、不参加を決め込むと、相手を歓迎してないと見なされかねない。

もちろんコミュ症が歓迎会に参加したところで、新入社員と1回も目を合わさないため、どちらにしても「歓迎されていない」と思われるだけだし、あとから「参加してたっけ?」と非実在を疑われることも良くある。

それでも、何となく不参加はしづらいのだ。

だが新入社員だって、歓迎会で仲良くなりたいのは偉い人、もしくは頼れるパイセンや、給湯室の重鎮なはずである。

しかし最初は誰が力を持っているかなどわからない、そういう烏合の衆の中から、ハートのエースやジョーカーをみつけださねばならないのに、そこに自分のようなクローバーの2が混ざられるのは新入社員の効率を悪くさせるだけである。

今コロナの影響により、どうしてもしなければならない集まりも、主要メンバーだけに絞るなどして行われている。

おそらくそれだけでも十分会は成り立っているだろう。

会自体はなくさなくても良い。ただ「クローバーの2まで呼ばなくても良い」ということを、この状況から学んではいかがだろうか。