漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
私に映画の話を振ると「デビルマン」「八甲田山」「ディープブルー」の話しかしないことはあまりにも有名であり、映画の話題じゃなくてもこの3つの話を始めることも通の間では常識である。
若いころ、何故年寄りは昔の曲ばかり聞くのだろう、と思っていたが今ならよくわかる。 新しいものを吸収し良さを理解するというのはパワーがいる行為なのだ。
若いころはパワーがあるので、息をするようにそれが出来ていたが、年を取ると力不足になり、新しいものに触れると脳が疲れを感じるようになるため、避けるようになる。
その代わりに手間のかからない「すでに知っている子」を可愛がるようになるのだ。
音楽だけではなく、ゲームやアニメなども、年を取ると新作より、リメイクやリバイバルの方に興味を持ちがちになる。
映画も、新しいものより、気に入ったものを繰り返し観るようになるのだ。
若い人からすると、何故ストーリーもオチもわかっている話を何回も観るのか不可解だろうが、老にとっては新しいものを観るより、脳が心地よく感じる。
それに、『天空の城ラピュタ』だって、俺たちの応援次第ではいつかムスカが勝つかもしれない。繰り返し観ることは決して無駄ではないのだ。
デビルマンに至っては「タンクトップのデブ3人組が登場するのはちょうど1時間」など、観る度に新しい発見があるので、懐古でありながら脳の活性化にもなる。
しかし、今確かめたところ「59分」だった、これも新しい発見である。
新しい映画を観る場合、まず世界観やキャラクターを一から覚えなければならず、覚えられないまま終わる、ということもままある。
登場人物の見分けがつかず、いつ誰が死んだかわからないというのは洋画に詳しくない老あるあるだが、マッドマックスのイモ―タンジョ―がいつ死んだかわからなかった時は、さすがにもうダメだと思った。
よって、年々新しい映画を観る代わりにデビルマンを観る回数が増えてきたのだが、たまに映画レビューの仕事をもらう時がある。
さすがに仕事で「観てないけど、パケのフォントが創英角ポップ体な時点で☆1つです」とアマゾンの雑レビューみたいな真似は出来ないので、その時ばかりはちゃんと観る。
むしろ貴重な新しい映画を観る機会なので、ありがたくもある。
しかし、映画レビューの仕事を受ける時は必ずある1点を確認する。
「映画内でおキャット様が死ぬか」だ。
死までいかなくても、痛い目にあうような描写がないかは必ず確認する。
「物語上意味のある死」とか「感動的な死」とかは関係ない。そんなのエビアレルギーの人に「三ツ星レストランのシェフが料理してるから大丈夫です」と言ってエビを食わせるのと同じだ。
未だに信じられないのだが、おキャット様も死ぬ生き物であることはわかっている。
しかしフィクションの中でぐらい、それに触れたくないのだ。
実際それで仕事を断ったこともある。
私と似たような人も多いようで、作品内でおキャット様やおドッグ様が死ぬか否かをまとめたサイトもあるようである。
私も基本的に人間以外の動物が死ぬのはNGなのでありがたい、むしろ人間が1人も死なない方がNGなぐらいだ。
先日仕事で『貞子』の2019年バージョンを観た。
日本で1番有名なホラーと言っても過言ではない「リング」シリーズの最新作なのだが、正直2019年版はあまり評判が良くなかったらしい。
何故なら仕事の内容自体が「去年評判が悪かった映画を観て感想を描く」というテーマだったからだった。
クソをわざわざ観に行って「気分を害した!」と叫ぶという、ただの当たり屋だ。
作り手としては10:0になってでもひき殺すしかない。
しかし観てみると、世間の評判はともかく、貞子2019には「全く怖くない」という大きなアドバンテージがあった。
これならホラーが苦手な人でも観られる、つまり顧客を選ばないバリアフリーな作りなのだ。
貞子と言えば、今までのジャパニーズホラーではボンヤリとした存在だった霊を物理的に描いたことが画期的であった。
そして今作ではついに「アメフト部3人」程度の物理で勝てそうなほど物理的になることに成功していた。これは大きな進化と言えよう。
私は怖がりなので、貞子がテーマとして来た時は、正直嫌だったのだが、そんな杞憂を吹き飛ばしてくれる内容だった。
もう少し人間がむごたらしく死んでも良かったぐらいである。
そもそも「おキャット様が死なない」時点で☆3兆は堅い。
ちなみにデビルマンはおキャット様が死なない点を加点して☆1だ。