漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
11月も半ばを過ぎ、本格的に寒くなってきた。布団ことオフトゥンと別れ難い季節である。
しかし最近「布団が古くなったので、思い切って捨てた、今は床に寝ている」という人に、立て続けに2人出会った。
世の中は「逆にオフトゥンを捨てる」フェーズに入ってきているのだろうか、俺も捨てるべきなのか。
そうすれば、本格的オフトゥン捨てブームが来た時「俺は流行る前から捨てていた」という世界一低いマウンティングを取ることができる。
結論から言うと、捨てなくて良かった。むしろ何故捨てたのだ、バカか。
年を取るごとにオフトゥンの重要性を感じる。
前に、中年以上が夜行バスに乗ると全治10日の重症になる話をしたと思う。
もっと年を取れば重体となり、夜バスから救急車、もしくは霊きゅう車へと乗り継ぐことになるだろう。
夜バスでも寝てはいるのだ。しかし、バスのシートで座ったまま寝るというのは、全く寝たうちに入らず、むしろ疲れるのだ。
それと同じように、たまにビジネスホテルに泊まると「何故ホテルにこのような巨大まな板が設置してあるのか」というような、硬いベッドに出くわすことがある。
そのようなベッドで寝ると、次の日「全身を強く打って死亡」とニュースキャスターが言う状態になっているのだ。
このように、同じ睡眠でも寝る場所がダメだと、むしろ寝ない方がマシな状態になってしまう。
年を取ったら、せめて敷き布団の方にはこだわらないと健康寿命を縮める。最悪でも捨てない方がいい。
敷き布団に比べれば、掛け布団の方は「3トンある」というのでなければ、何を使ってもそこまで体にダメージを与えない。
しかし「寒暖」には大きな影響がある。
だから我々は、季節によって掛け布団の方をチェンジしていくのだ。
我が家では、タオルケット、毛布、掛けオフトゥンを使っている。
夏はタオルケットのみ、寒くなってきたらそれを毛布に替え、本格的に寒くなったらその上に掛けオフトゥンを乗せる。
最近「毛布は掛けオフトゥンの上に乗せるものだ」という説も出てきているが、私の脳ではその理屈が理解できないので、毛布on掛けオフトゥンにしている。
現在は、毛布&掛け布団の冬フォーメーションだ。
しかし、冬陣形の時だけ起こる問題がある。
私は、夫と1つのベッドに2人で寝ている。
この夫は「私の幻覚説」が度々出てくるが、これが「イマジナリ―配偶者」でないことが、冬に良くわかるのだ。
タオルケットと毛布は、各2枚ある、しかし敷きオフトゥンと掛けオフトゥンは1枚である。 むしろこれが2枚なら、別に寝た方が早い。
冬、この掛けオフトゥンを夫に奪われていることが多いのだ。
夜中、寒さで目を覚ますと、真冬に毛布1枚で寝ている、という狐に化かされた人みたいによくなっている。
隣を見ると、夫が「悪いがこの掛けオフトゥンは1人用なんだ」という感じで寝ている。
無意識のうちに、夫が掛けオフトゥンを自分の方に寄せるため、私から掛けオフトゥンが剥ぎ取られるのだ。
もちろん、オフトゥンを奪い返そうとするのだが、これが容易ではない。
何故なら、夫のオフトゥンの奪い方が「トルネード式」なのだ。
トルネード式とは、寝返りを打つ勢いで、オフトゥンを相手から巻き取る戦法である。
そうすると、オフトゥンは夫の体にガッチリ巻き取られている形である。
このオフトゥンを巻き返すには「1本背負い」ぐらいの力が必要であり、時に「ビクともしねえ」ということがある。
そんな時は「俺はオフトゥンと一緒にベッドから転げ落ちても構わない」という「心中覚悟」でさらに強い力で巻き返そうとするか、諦めて、残っているオフトゥンの端部分にいかに体を収めるかを考える。
仮に取り返したとしても、気づいたらまた狐に化かされている、ということが酷い時は一夜に2~3回あったりもする。
そんな状況を救ってくれるのが「毛布」である。
掛けオフトゥンを取られても、毛布だけは残されている。
まさに「毛布がなかったら即死だった」の状況だ。毛布がなかったら今頃私は室内で凍死している。
夫婦円満のコツは就寝分離という。イビキや生活リズムの差で、一緒に寝ることにストレスを感じるぐらいなら、別にした方が逆に良いということだ。
しかし、寝室を分けるというのも楽ではない。まず今あるダブルベッドを窓から捨てて、シングルベッドを2台入れるというのは一大事である。
よって、今冬も、真冬に毛布1枚で寝るという、オフトゥンを捨てた人とあまり変わらない就寝スタイルになってしまうだろう。
しかし、私が夫に小言を言えることなどほぼないのだ。
よって、貴重な怒る機会として、今年の冬も逐一、布団を取る夫に文句を言っていこうと思う。