漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「ドライヤー」だ。
昔から髪はドライヤーで乾かした方が良い説と、ドライヤーは髪を傷める説があったが、最近は、乾かす方が主流になりつつあるような気がする。
なぜなら美容院に行くと、高確率で「ドライヤーで髪乾かしてます?」と聞かれ「乾かしてないです」というと「乾かした方が良いですよ」と言われるからだ。
ご存じない方も多いと思うが、このコラムの挿絵に出てくるモジャモジャした物体は私の自画像であり、モチーフは陰毛だ。
つまり、頭髪が縮れている上に、キューティクルが死滅しているのである。
おそらく美容師は私の公然猥褻ヘアーを見て瞬時に「こいつドライヤー使ってねえな」と察知して、その質問をするのだろう。
突然だが私は前世で美容師に殺されている。
それも、パンチパーマのコテを全身に押し当てられるなど、かなり惨い殺され方をしている。
よって美容室に行くと前世の記憶が甦ってしまい、よほど悪い顔色と顔をしているのだろう、「怖がらなくていいですよ」とか「美容院嫌いですか?」という、普通ならあまり美容室で出てこなさそうなセリフを美容師に言われることが多いのだ。
もちろん美容師は気遣ってそう言っているのだろう。しかし何せこちらは前世美容師に殺されているのだ。
美容師に気遣われるというのは、全身の骨を折られた後にマキロソを渡されるようなものなので「舐めやがって」という気持ちが湧いてくるのである。
自分でも理解不能の感情であり、完全な被害妄想なので、何故こんな気持ちになってしまうのかわからない。
よって「前世で美容師に殺された」としか説明がつかないのである。
そのため「ドライヤー使った方がいいですよ」と言われても「死んでも使うか」という気になってしまうのである。
しかし、この反抗は「己の髪を傷めるだけ」というただの自傷行為である。
特に髪というのは、社会において最も大切と言われる「清潔感」に大きく関係する。髪を傷めるというのは、ただでさえない清潔感をさらに捨てる、社会的自殺行為と言ってもいい。
だが前世で屈辱を受けた相手に、今世で屈するわけにはいかないのである。
社会的生命と引き換えにしても守らねばならぬ「誇り」がそこにあるのだ。
もちろん美容師は私を辱めたいわけではないく、良かれと思って言っているのはわかる、しかし言われれば言われるほど猛然と腹が立つのだ。
だが私も美容師のアドバイスに対し「いや、そういうのいいっすから」と言うわけではない、無表情で「はい」とか「へえそうなんですか」と、取れ高ゼロの合コンに来ている女のような返事ぐらいはする。
しかしご存じの通り「絶対やらないであろう、興味のない話」に相槌を打ち続けるというのも、疲れる。
よって、8割聞いたところで「やっぱ、そういうのいいですわ」と仕事を一通り教え終わった後にバックレるバイトみたいなことを言いたくなってしまうのである。
しかし「何の恨みもない、何も悪いことをしていない相手に意味もなく怒る」というのは、心の動きとして完全に不自然である、精神が寝違えていると言っていい。
そんな状態を1時間、縮毛矯正だと3時間続けるとどうなるかというと、「心の首が曲がってはいけない方向に曲がっている」状態になる。
つまり、とても毛を刈りに来ただけとは思えぬ疲弊をするのだ。
そして大体「何故あんな態度をとってしまうのか」という反省会が始まる。そもそも美容師に殺された人間が美容室に行くのが間違っているのではないか、飛んでBBQの輪に入る夏の非リア充ではないか。
それに、美容室というのは、他の客が美容師とこともなげに談笑しているため「人が普通にできることができない」という、今まで社会で通算5億回は味わってきたコンプレックスをこれ以上なく如実に追体験できる場所なのである。
つまり、美容室というのは私にとって、ありとあらゆる負の感情が特に理由もなく湧き上がってくる場所なのだ。
このことから私は前世、美容室で美容師に殺されているということがわかる。
本能寺跡に行くと意味もなく情緒が乱れるという人は前世が織田信長の可能性がある、ということだ。
そのような理由から、私はよほど急ぎでないとドライヤーを使わない。
使った方が良いのはわかっているが、前世からの因縁なので仕方がないのだ。