漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「宝くじ」だ。
世の中には3種類の人間がいる。
宝くじを買わない人間と、「夢を買っているのだ」と言いながら、ちゃんと3億円当たった時のことを考えている人間、そしてもはや宝くじで3億円当てる以外なす術がない人間だ。
私は、状態としては3番目なのに、宝くじを買わない人間だ。
何故買わないかというと、当たったとしても最大数億円程度だからである。私にとって「2兆円未満ははした金」なので、そもそも興味がないのだ。
そう言うと「1兆9999億円あげる」と言われた時に困るので「自ら2兆円未満を取りに動くような無様な真似はしない」という意味だと思っていただきたい。
どうしても受け取ってほしいという場合は断るのも悪いので相手のためにもらっておこうかと思う。
ちなみに2兆を超えると「品がない」ので、宝くじが「3兆円当たる」でも買わないと思う。
買わない一番の理由はそれだが、次に「当たらないと確信している」からだ。おそらく、宝くじを買わない人のほとんどが、その理由で買わないのだと思う。
「買わなければ当たらない」というのが宝くじを買う人間の常套句だが、この世には「買っても当たらない」と強い確信を持った者がいるのだ。
つまり私は自分の「運」というものに、絶大な不信頼を置いている。よって、宝くじもだが、ギャンブルの類は一切やらない。
ソシャゲのガチャは回しているじゃないか、と思われるかもしれないが、勘違いしてもらっては困る、ガチャというのは「運」ではないのだ。
何故なら、ガチャというのは「出るまで出せば出る」仕組みである。つまり、確率100%である、そんなのはギャンブルとして成立してない。
宝くじやギャンブルも、当たるまで続ければ当たるかもしれないが、それだと当たった額より使った額が大きくなってしまうことの方が多いだろう。
その点ガチャは、いくら使おうが「推しが出た瞬間黒字」が確定している。つまり「マイナス」という概念が存在しないのだ。どうやっても得をするシステムになっている。
マイナスが出るとしたら「途中であきらめた時」である。
つまりガチャは「資本」もしくは未来の資本を使う「魔法のカード」。そして、出るまで絶対あきらめないという「決意」さえあれば、確実に勝てる「約束された勝利」なのだ、運は全く関係ない。
このようにガチャは実に「手堅い」世界なので私向きだが、宝くじやギャンブルのように運要素が強く、リスクも高いことにはあまり興味がわかないのだ。
宝くじを1枚買うぐらいなら「約束された勝利」の礎にするか、みかんを一袋買って、冷凍みかんにした方が良い、と思ってしまうのである。
そんな堅実な性格になってしまったのは、今まで運で良い思いをした記憶が特にないからだ。むしろ私は運や勘が非常に悪い。
中学生のころ、最近リメイク版が話題を集めている『ファイナルファンタジー7』で、ユフィを仲間にする選択肢を全部間違えたあたりで確信した。
私が方向音痴なのも、地図が読めないせいもあるが、勘で進むと絶対逆方向に行くという能力者なおかげでもある。
ビットコインや株も私が買うと軒並み下がった。投資も、よくわからず始めれば結局ギャンブルであり、やはり私にはギャンブルの才能がなかったのだ。
そんな、一筋の光も差し込まない、奇跡も魔法もやっぱりなかった人生だったので、すっかり運が関係するものには興味がなくなってしまった。
そんな私でも「気合い」があれば当てられる上、かならず得をすることができる「ガチャ」は実に親切である。
しかし一度、身内が宝くじ系のもので4桁万円当てたのを目の当たりにしたことがある。
その時はさすがに自分も買ってみようかと思ったが、その人は当てたことを隠さないばかりか、それで周りの人間にも還元していた。
私だったら、絶対言わないし、まして周りに与えようとは思わないだろう。
運というより「そういう人だから当たった」という感じがする。
私が買ったとしてもそれは、昔話で、善人のジジイが一儲けしたのを見て、隣のいじわるジジイも同じようなことをしだすのと同じである。
儲けられるどころか、損をする気しかしなかったので、結局買わなかった。
買ってみなければわからないが、はずれた時に「みかんを買っておけば良かった」と思うようなら、やっぱりみかんを買った方が良いし、確実に当たるガチャに使った方が良いだろう。