漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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地球上には多くの生物がいるが、全裸で生きられない生物は人間ぐらいのものである。
生きられないことはないかもしれないが、暑さ寒さで相当厳しいことになるし、果ては全裸で外に出ると「罪」になるという法律まで作って自ら全裸で生きられなくしてしまったのだ。
自分で全身に拘束具をつけておいて、ツイッターとかで「生きづらい……」とかつぶやいているのだ、珍獣なのである。
その点おキャット様は、全裸で悠々と暮らしていらっしゃるし、人間と違いそのお姿が「見苦しい」などということはない。
神々しすぎて人間の網膜が焼けるという、別の意味で「罪」ではあるが、罰せられるべきなのはもちろん人間だ。
しかしおキャット様の中には、何かワケあって、もしくは完全な人間のエゴで服を着せられたり、あまつさえかぶりものをさせられているおキャット様もいる。
本来ならおキャット様を己のエゴに巻き込む人間など即刻地獄の業火に焼かれるべきなのだが、申し訳ないことに、この服やかぶりものをさせられたおキャット様というのはかわいいのである。
大変遺憾、痛恨の極みだが、服やかぶりものをさせられたおキャット様というのはかわいいのである。
大事なことなので2回言うし、時間があるならあと3万回言いたいところだ。
本当に良い食材はそのまま食べた方がいい、とはよく言うが、そんなものは料理して食っても美味いに決まっている。
よって、全裸のままで完成されているおキャット様に何か着せても「別の完成されたもの」になるのは自明の理である。
その「もうひとつの完成形」は、「服」などという愚かな文化を生み出した人間の存在なくしては生まれなかった。
また、「この服なる下等生物が使うものをおキャット様にも着せてみよう」という、まさに神をも恐れぬ無謀なくしても生まれなかった。
人間は愚かである。
しかし、その浅慮さがなければ、成し得なかったことも数多くあるのだ。
少なくとも、この愚かさとエゴがなければ「服を着たおキャット様」という芸術は生まれなかった、それは大きな損失である。
このように、人間の愚かさやエゴにも「意味」があると示してくれたおキャット様は尊いということである、あと申し訳ないが、服やかぶりものをしたおキャット様はかわいい。
そんなわけで今回のテーマは「サンダル」である。
人間は、生身じゃまともに生きられないという、脆弱な生き物だ。外に出るときは、服そして靴を身につけないと、ろくに行動できない。
単純に行動への支障度だけなら、服より靴の方が重要かもしれない。
人間は裸足で外に出ると、ケガをしたり、季節によっては、火傷、凍傷などの危険性がある。一体どれだけ脆弱なのか、こんな生き物が栄えて、全裸裸足で生きられるニホンオオカミとかが絶滅しているのが不思議なくらいだ。
よって、服を着忘れても、靴だけ履いていれば、気候の良い季節なら体に害はないかもしれない。
しかし、全裸に靴だけの方がビジュアルの変態度は上がってしまう。
世の中には、靴をただの必需品として使っている者と、ファッションとしても使っている者がいる。私は前者である。
靴道楽の者からすると信じられないかもしれないが、前者は本当に靴を持っていない。
私も夏のサンダルと冬のブーツと、一年中履く奴の3つしか持っていない。
あとは別枠で葬式に履く奴があるぐらいだ、こちらは使用頻度が少ないのでもう一生使う気がする。
だが、私はまだ「持っている方」だと思っている、中にはサンダルとスニーカーの2足という者もいるのだ。
ちなみにスニーカーは真冬用で、サンダルはそれ以外用である、温かい地域になればサンダル1足という人間もいるだろう。
私もできることならサンダルだけで全て終えたいところである。何故ならサンダルというのは靴下を要しない履物だからである。
これはデカい。
何がデカいのか、わからない人には全くわからないと思うが、靴を便宜上仕方なく履いている者にとって靴下というのはもはや「異物」でしかないので、できるだけ履きたくないのだ。
家に帰ったときは、パソコンの電源を入れるより先にまず靴下を脱ぐ、そのぐらい重要度が高い。
要するに、体が服や靴という文明物に適していないということなのだが、何度も言うように、人間よりはるかに優れたお動物様たちは、服も着ていないし靴も履いていない。
つまり年中、サンダルとランニング半ズボンな我々の方が、進化した生き物なのだ。