漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「高速バス」だ。
高速バスには久しく乗っていない、おそらくこれからも乗ることはないだろう、むしろそうであることを祈る。
モスキート音のような「若者にしか聞こえない音」があるように、世の中には若者にしか乗れないものがある、それが高速バス、正確に言えば夜行バスなのだ。
中年が夜行バスに乗ると全治一週間のケガを負う、というのは有名な話である。それほど一晩バスに乗るというのは過酷なことなのだ。
若い頃は「金のなさを、時間と体力で補う」ということがよくある。「徒歩」に無限の可能性を感じたりする、「毒以外は食える」という方針だ。
それが年を取ると、時間と体力、そして金がない。
しかし、若い頃と違って「徒歩」には「死」しか感じなくなるし、毒どころか「脂」に殺されるようになってしまう。
よって、金はないが、金と命を天秤にかけた結果、楽にスピーディに現地へ着ける交通手段を選ぶようになるのだ。
また、財布やスマホ、服を着ることさえ忘れても「ビニール袋」だけは忘れない、でお馴染みの乗り物酔い嘔吐キッズにとって、「バス」は霊柩車よりも見たら親指を隠してしまう乗り物なのだ。
一言で乗り物酔い、と言っても「酔いやすさ」は様々である。私の場合、動きが規則的で、停車が少ない電車などではあまり酔わない。
その点で言うとバスは酔う要素を全て兼ね備えているという夢の車である。
あと、「シートの柄がキモい」。
これは強度の乗り物酔い独特の感覚だろうが、坊主憎けりゃ袈裟のデザインまで気に入らないのである。
もう、乗り込んで、シートの柄を見た時点で気持ち悪く、触るのさえ嫌なのだ。それに何時間も座れと言われたら、もはや吐くなと言うほうが無理だ。
誰だって、キモい人の膝に座れと言われたら、こみ上げてくるものがあるだろう、それと同じなのである。
薬物(酔い止め)で乗り物酔いをある程度克服した今でも、「バス」はよほどのことがないと交通手段として選ばない。
しかし「夜行バス」は、金のない若者だけの乗り物、というわけではない。
私にはバンギャの友人がいる。
この一言だけで、何も面白いことを言っていないのに一笑い起きてしまうので、いちいち面白いことを書こうとしている自分がバカらしくなってしまうのだが、とにかく私には幻覚ではないバンギャの友人がいる。
バンギャというのは、そんじょそこらのホームをレスされた方より、よほど「住所不定」なのである。
何故なら常にライブに行っているからだ、もはや「ライブに住んでる」と言ってもいい。
そんなバンギャをはじめとした、各地への遠征が不可欠な趣味人にとって夜行バスは、老若問わず欠かすことのできない移動ツールだという。
決して趣味人たちが、飛行機や新幹線に乗れないほど貧乏というわけではない、ただ「ライブ行き過ぎ」なのだ。
また、我々オタクは、推しの懐や、胸の谷間、ケツの割れ目に入る金なら、惜しまない。
だが逆に言うとそれ以外は捨て金であり、そんな金があったら1円でも多く推しのほお袋とかに入れたいと思っている。
交通費、というのは死に金界でもかなりの重鎮である
ちなみに死に金界のセンターは「何とかプラスに払う謎の手数料」だ。
つまり「金と命どっちを取る」と言われたら迷わず「推し」を選ぶため、たとえ命を削ることになっても、夜行バスに乗り込むのである。
そこで浮いた1万円でもう1回ライブに行けると思ったら安いものなのだ。
また「宿泊費を浮かすため、あまり治安のよろしくない地域のドヤに泊まっている」という知人のアイドルオタもいる。
オタクの言う「命をかける」というのは、決して例えで言っているわけではないのだ。
それに比べると、自分は「命かけてねえな」と思うが、「命をかけてこそファン」という選民思想は界隈の居心地を悪くし、逆に推しを殺すことになる。
夜行バスで推しに会いに行きドヤに泊まっている人もファンだが、家で有料で楽曲をダウソして聞いている人もファンである。
やれる範囲でやらないとファン活動は途端につらくなり長く続かなくなる。それよりは出来る応援を長く続けたほうが良い。
私は夜行バスに乗って推しに会いに行くことはない。そもそも推しは画面の中にいるので、何に乗っても会いに行けないという問題がある。
その代わり、家でガチャを回し続けていこうと思う。使っている額なら、遠征派の人にも負けないはずである。