漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「天気予報」だ。
しかし、無職、そして引きこもりというのは、季節すら関係ない人間である、当然天気も無関係である。
天候によって行動が左右されることはない、晴れだろうが雨だろうが、等しく「外に出ない」だ。
たとえ空から女の子が振ってこようが部屋から出ず、シータは地面に激突死だ、私がパズーじゃなくて本当に良かった。
逆に言えば、会社員というのは、天候関係なく外に出なくてはいけない人間である。雨だったりしたら余計会社に行く気がなくなってしまうだろう。
田舎の人間というのは、大体車移動のドアからドアなので、あまり悪天候の中歩くということがない。
一見良いように見えるが、天候というのはもちろん運転に影響するのだ。
雨程度なら良いが、台風や大雪などの災害レベルの時、都会の人なら公共交通機関がどうなっているかで出社するか否かを決めているかと思う。
移動手段さえなくなってくれれば、よほど社で畜っている人でない限り、潔く「休む」という判断ができるだろう。
逆に言えばこいつがいつまでも止まってくれないから「帰れなくなるのを承知でいかなければならない」という、ハリウッド映画ばりの片道切符で会社に行かなければならなくなるのだ。
だが田舎の場合、この「出社するか否かの判断」がさらにファジーなのである。
何せ移動手段が車である。部分的に通行止めになることはあっても、全ての道路が封鎖されるというのはバイオハザードでも起こらない限りは滅多にない。
よって、会社が「来るなボケ」と言わない限り、都会よりさらに「各々の判断に任せる」ことになってしまうのである。
そして日本人に各々判断させると、大体半分以上は「行っちゃう」のだ。
車というのは、電車などの交通機関に比べ、格段に事故率が高い乗り物である。それをさらに事故る確率が高い天候の日に乗って出るというのは、命知らず過ぎる。
しかし田舎では、台風や、大雨、大雪があるたびに、そんな命知らず野郎たちのチキンレースが開催されるのだ。
私も何回か参加したが、毎回出発して3分ぐらいで「何でこんな日に外に出たのかな?」という疑問にぶち当たる。
それに、車というのは、最近皆さん特にご存じのように「他人を死なせる可能性があるもの」である。
電車通勤なら災害時出社して帰れなくなるのは自分のことだが、車だと他人を一生帰宅できないようにする恐れがある。
よって田舎は都会以上に会社側が「来るなクソども」と早めに言うべきなのだ。そうでもしないと我々は「他の人が出場するなら……」と、レースに挑んでしまうのである。
無職というのは、そんな「災害時には外に出ない」という当たり前のことを、同調圧力に屈せず実行できる、稀有な存在である、何せ同調する相手がいない。
このように、無職になって天気が関係なくなったため、天気予報も見ることはないのだが、私は会社員時代からあまり天気を気にしていない。
もちろん、災害ぐらいになれば気にするが、雨程度なら気にしないし、傘もあまりささない。さすとしたら、旅先で結構な距離を歩かなければいけない時ぐらいだ。
つまり「地元じゃ傘知らず」である。
何故ささないかというと、まず「傘をさす」という動作が面倒であり、それで手がふさがるのも嫌だ、そしてもちろん「たたむ」という動作も面倒である。
つまり「傘を持つより濡れる方が面倒が少なく合理的」というミニマリスト的思想である。
おそらくミニマリストとはそういう者ではないのだと思うが、たとえ傘を買っても秒でなくすので、コスパ的にも悪いのだ。
ただ私は昔、自著で「ブスは傘をささない」と書いている。
確かに、ブスは才能が物を言う世界であり、我々がどう頑張っても、医療や化学、魔界転生などを用いずに石原さとみになれないように、生まれながらのドブス様に、凡百のブスが勝つのは難しい。
しかし、可愛くなろうとする努力が無意味ではないように、ブスも努力が実を結ぶものなのだ。
この「傘をささない」というのは、「このぐらいなら良いや」という油断の総称である。
小雨程度じゃ傘をささない女は、少しの外出なら日焼け止めを塗らなかったりと、あらゆるところで自分へのケアを怠っている、その積み重ねが着実にブスを作るのだ。
元の美醜関係なく美しく見える人というのは、雨どころか「紫外線」なる目に見えない物まで気にしながら生きているものなのだ。
やはり女の子が降ってきても微動だに出来ない私はブスになるしかない