漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「防災」である。
実は典型的「うちは大丈夫だろう」精神で防災に関することはほとんど何にもしていない。
しかもうちはオール電化なので電気が止まった時点で即死である、文明におぼれた人間が文明に殺されるという典型的展開だ。
今は、大体のものが一式揃っている防災袋がいくらでも売っている。
しかし、パチンカスがサンドには惜しげもなく諭吉(近い将来栄一)を突っ込むのに対し、78円の甘いパンを買うのは躊躇するのと同じように、ガチャにはいくらでも金を使うが、来るかどうかもわからない災害対策に金を使うのはなかなか気が重いのだ。
命がかかっているのはわかっているが、命のかかり具合はガチャも同じだし、今まさにかかっているぐらいだ。
しかし、全く何の対策もしていないわけではなく、我が家はもっと根本的な災害対策をしている。クソほど家に保険をかけているのだ。
つまり、何らかの災害で家が木っ端みじんになったとしても、建て直すことはできるということである。
ただし、木っ端みじんになった家の中にいた人間が、どうなっているかはわからない。菊川怜のケツに敷かれたハズキルーペは無傷でも、それをかけている渡辺謙の顔面が無事かどうかわからないのと同じだ。
ハズキルーペの場合は、顔面プレスさえしなければ良い話だが、災害というのはこちらの意志とは関係なくやってくる、
何故こんなに保険に入っているのかというと、夫の仕事が保険関係であり、ノルマをクリアするために、自ら保険に入り続けているという状態だからだ。
私は夫の収入のことは良く知らないのだが、同じ職場で働いている人の奥さん談によると「保険を払うために働いている状態」「激怒して半分解約させた」とのことだ、おそらく夫も似たような状態だろう。このような企業体質は誠に良くない。
では私が、ノルマのために自分と家庭を犠牲にするとかアホか、と激怒して保険を解約させる気概を持っているかというと、もちろん拙者、企業体制に逆らえず諾々と搾取され侍と申す、である。
よって私名義でも保険に入り続けたのだが、この春「もうこの家には保険をかけられねえ」となったので「家の中の家具など」に保険をかけることになった。
ガチャで天井は日常茶飯事だが、保険の天井は初めてだ。
今まで、幸か不幸か保険を使うような事態にはなっていないが、ここまで来るともったいないので、一度雄たけびを上げながら部屋の中の物を破壊しつくしてみようかとも思うものの、おそらく人災は保証対象外だろう。
このように、災害に対しては全くノーガード戦法だが「災害に倒された後の対策」だけは手厚すぎる我が家である。
ちなみに、家が小高いところにあるため水害の心配はないのだが、それ故に、災害より心配しなければいけないことがある。
老災だ。
最近、高齢者の運転問題がまた取りざたされているが、あれは全く他人事でない話だ、もちろん加害者としてだ。
住んでいるところが小高く、なおかつ周囲に何もないということは「車がないと死ぬ」ということである。
老人だって、頑なに「俺様は運転、大丈夫」と思って返さないわけではなく、「返したいが、返したらどうやって生活したらよいかわからん」ため返せない老人も絶対いるはずなのである。
おまけに私の団地は、同年代のファミリー世帯が多い、つまり40年後ぐらいには、連日近所で「老人だらけの命(他人のもの含む)をかけたカーレース」が開催されてしまう、ということだ。
そして最悪なことに、近くには「小学校」がある、揃ってしまいすぎている、スリーセブンだ。
災害は来るかどうかわからないが、老人には絶対なる。
将来、車がなくても済むような行政サービスが発達していれば良いが、そうでなければ、老になったら山を下りて、もう少し周囲に施設がある土地に引っ越すしかない。
そうなると、何故最初からそういう場所に住まなかったのか、という話になってくるのだが、正直言って何も考えていなかった。
将来絶対に困る土地に家を建て、その家に天井まで保険をかけ、その保険を払うために働く。
人生に無駄なことはない、と言うが、これはさすがに無駄だと思うので、不動産を買う時はぜひ40年後のことも考えてから買って欲しい。