漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「口内炎」だ。
何故こんなテーマが出せちゃうのか不思議なのだが、逆に「絶対、他のどこともテーマがかぶらない」という利点だけはある。
人には、生まれながらに「体質」というものがある。運悪く病気を持って生まれた人もいるだろう。しかし一応「健康」と呼ばれる人間でも、風邪を引きやすいとか腹を下しやすいとか、地味にいろんな不具合を抱えて生きているものなのだ。
ちなみに私の夫は「自分はあまり腹を下さない」と言っており、多少の賞味期限切れは気にしないタイプだ。
胃腸が強い夫と、触るものみな腐らせる、ギトギト小鼻の引きこもりである私が結婚したのには「運命~ディスティニー~」を感じずにはいられない。
夫とて腐っているものは食わないが「腐っている」と判断するのに一口は食っているのだ、腹を下しやすいタイプだったら、慰謝料請求の上、離婚されていると思う。
その代わり、夫はバカである私より風邪を引きやすい気がする。このように、人にはいろんな体質がある、そして「口内炎」もそのひとつである。
口内炎の原因は、ビタミン不足やストレス、不眠など諸説あれど、やはり「体質による」ような気がしてならない。
できない人間は「口内炎できたことない」というレベルでできないし、できる人間は「口内炎が治って口内炎ができる」というコブラ状態なのだ。
口内炎は「地味な不具合」の中でも、かなり厄介なほうである。
私も今はあまりできないのだが、若い頃はよく口内炎ができていた。ニキビと同じように、加齢とともにできづらくなるということもあるのかもしれない。
口内炎の厄介さは、痛いのは当然として「口の中にある」という特性上「存在を忘れることができない」という点だ。
「イエスショタコン ノータッチ」
これは、少年を愛する紳士淑女たちが掲げているスローガンである。少年は良い、だが触ってしまったらおしまいなのだ。
これは少年だけではない、人間だもの、目の前にいる女性もしくは男性に「良いケツしてるな」と劣情を抱いてしまうこともある。
しかし、思うだけなのと、触ったり、挟まりに行ったりしてしまうのとでは、一般人と犯罪者の差があるのだ。
「触らない」というのは、それだけ重要なのだ。
これは他人の体だけではなく、自分の体も同じである、口内炎の対処法はさまざまあるが、一番は「触らない」ことだ。
口内炎とて、突然「パール大」のように、化粧品によく書かれている謎の大きさで現れるわけではない、最初は1ミリ程度の「口内炎になりそうな気配」から始まるのだ。
この気配のうちに、薬などを塗って後は極力触らなければ、口内炎に育つことなく治すのも可能なはずなのだ。
だがこの「ノータッチ」が難しいのだ。
私は、口内炎だけではなく、あらゆる自分の体の不具合にノータッチができない。
「ニキビ」なども、口内炎に並ぶ「ノータッチが一番の薬」と言われているものだが、これも小さなニキビの段階からいじり倒して、爆発以外治る術がない見事なニキビとして独り立ちさせてしまうのだ。
口内炎も、小さいうちに治したことがない。舌はもちろん時には指でも触るというエリート教育で口内炎を育ててしまう。
そんなことをしていたら、大きくなる一方で永遠に口内炎が治らず、そのうち口内全面が口内炎になるのでは、と思われるのかもしれないが、口内炎さんには「今日はこのぐらいにしといたるわ」という関西のおっさん的なところがあるため、ある程度気が済むまで大きくなると、どれだけ触っても自然に治ったりするのである。
つまり「最長時間をかけて治す」ため、その間に新しい口内炎ができる、ということもあった。
そして口内炎の嫌なところは「食事」に影響を及ぼす点だ。
すき焼きの一口目で舌をヤケドしてしまいテンションが暴落するように、口内炎になると、食の楽しさが半減するのである。
食が楽しくないということは「俺の人生楽しいことが一つもない」ということになってしまい、うつ状態になる危険性がある。
このように、口内炎というのは精神にも影響を及ぼす重大な疾患なのである。
私のこの「ノータッチ」できなさは現在も継続中であり、今は体にできたかさぶたを無限に剥がしてしまうことで、伝説の老兵みたいな体をしている。
「ノータッチ」
他人の体でも自分の体でも、大切なことなので、口内にでも彫っておこう。