漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
→これまでのお話はこちら
今回のテーマは「時計」である。
「本物のイイ女は、イイ靴、イイ時計、イイ鞄を持っているもの」といった「うるせえドンキの袋に詰めて捨てるぞ」というような論をよく見かけるが、私は鞄の中で神隠しを起こせる能力者だし、靴もよく仕事する4WD車の如く汚れている。
さらに骨盤が歪みすぎているせいか、右側の靴底だけ異常にすり減るため、まっすぐ立っても、ヤレヤレ系主人公のように斜に構えている感じにもなる。
高価な鞄や靴を持っていても女は上がらないが、それらの扱いで人間性が見えるのは確かである。
鞄からクロレッツの噛みカスが出てくる奴は、イイ女ではない。
時計に関しては、もっぱらスマホで済ませている派で、身に着けさえしないのだが、一応腕時計は持っている。
この腕時計は何回目かの結婚記念日に夫からもらったものである。結婚記念日にプレゼントを贈り合う習慣はないので、完全なサプライズだった。
腕時計だけではなく、私の持っているアクセサリー類はほぼ夫からもらったものであり、ついでに結婚式などに着て行く服も夫に買ってもらったものだ。
喪服だけはさすがに自前、と言いたいが、これは親にもらったものだ。
私は、ガチャとコンビニ菓子とパブロソ以外の購買意欲がないため、平素は中学生の私服のコスプレをしているオバさんとして過ごしている。
引きこもりなので、普段はそれで困らないのだが、冠婚葬祭などフォーマルな場に出なければいけない時、身に着けるものが一切なく、初期アバターのような丸腰になってしまうのだ。
それを見て「お前よりお前を家族に持った俺が恥ずかしい」と、見るに見かねた夫や親が、ドラクエの王様が勇者に銅の剣を与えるように、私に最低限のフォーマルアイテムを与えてくれるのである。
非常に助かるのだが、これには夫側の事情もある。
夫の仕事は貴金属取扱ではない。しかし世の中には、建築会社だがキノコも栽培している、という事業を手広くやりすぎてワケがわからなくなっている会社がある。夫の会社はそれ系であり、貴金属販売もやっている。
夫がそれにノルマを持っているかはわからないが、数年ごとに、自社取扱製品を自分で買って私に与えるのはそういう事情もあるのだろう。
我が家では、誕生日は本人が欲しいものを買ってあげるというのが通例だったのだが、去年の私の誕生日には、珍しく私のリクエストを聞くことなく夫がプレゼントを買ってきた。
当然のように自社取扱製品だったので、何か「そういう事情」があったのだろう。そのプレゼントはバッグだった。
そのとき私が使っていたハンドバッグは、中の仕切りが完全に破壊され、トートバックとして生まれ変わりつつあった。
夫にも「そろそろ買い替えたほうがいいね」と何度か言われ「イエスアイシー」と答えていたが、バッグの死というのは底が抜けた時である、まだ全然使うつもりだった。
結果、また見るに見かねられたというわけだ。
夫の買ってきたバッグだが、まずブランドに詳しくないのでどこのメーカーかはわからない、ただデカく「G」と書かれているので、おそらく「ゴリラ」だろう、良いセンスをしている。
あと、私が何度も「バッグはデカいのに限る」と「女はケツが巨大なら何でもいい」みたいな感じで言っていたため、ハンドバッグの域を越えてデカかった。
そして「水に強そう」という、水に浸かることが多い仕事をしている夫独自の観点により、全面エナメルでテカりあげている。
正直、このバッグのセンスが良いのか悪いのかはわからない。私はセンスがないのだが、センスがないのにも利点はある。
センスが良い人だと、パートナーが好意で買ってくれたものに対し、思いたくないのに瞬時に「ダサい」と思ってしまったりするのだろう。
だが私は自分がダサいおかげで、夫が買ってきたもの全てを肯定的に受け取れるのだ。
そのバッグも、見た目の良し悪しはわからないが、何せデカいので使い勝手は最高であるし、「G」がゴリラだと思うとテンションが上がる。
世の女性がお気に入りのアクセサリーを身に着けるだけで「上がる」と言う意味が分かった。
だが、バッグは普段使いしているものの、時計やアクセサリーはよほどの時でないと使わない。使うと汚すか、なくすからだ。
いま久しぶりにもらった時計を見てみたが、数年前のものにもかかわらず新品同様である。私が触らなければ、物とはこんなに美しく保たれるのかと感動した。
残念ながら私にとって物を大切にするというのは「使わない」ということなのだ。