漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「アレルギー」だ。
私にはアレルギーはない、と思う。もしかしたら何らかのアレルギーを持っているのかもしれないが、検査をしたことがないので、実際にアレルゲンと接触し、絶命するなどしなければ自分がアレルギーであることにさえ気付けないのだ。
たとえカニアレルギーでもカニを口にする機会がなければ「アレルギー特になし」と思ったままなのである。
一生カニと縁のない人生が豊かかどうかは置いておいて、少なくともアレルギーに悩まされることはない。
よって、私も実は重度の2兆円アレルギーで、2兆円を見た瞬間に体中から血を噴き出して死ぬのかもしれないが、今のところそれを確かめる術がないのだ。
2兆円のようにあまり日常生活では接しないものならいいが、小麦粉や卵のように隙あらば食卓に登場してくるものなどのアレルギーになると大変だろう。
しかしこればかりは体質であるし、アレルギーがないのは運が良かった、としか言いようがない。もしくは日常に2兆円がある家に生まれなくてよかった。
だが、アレルギーという言葉はしばしば誤用される。体質ではなく、嫌いなものや苦手なものを「〇〇アレルギー」と表現する人間がいるのだ。
これによって、アレルギーと好き嫌いは混同されてしまう時がある。
偏食などと違い、ガッツでどうにかできないのがアレルギーである。しかし、アレルギーと偏食を混同している人間は「食べられないのはガッツが足りないから」と思ってしまうのだ。
そして、「克服させてあげる」という匠のいらぬ親切心から、丁寧に刻んだアレルゲン物質を混入したハンバーグをこっそり食わせる「これ携帯漫画の広告で見たやつだ! 」という殺人事件を起こしてしまうのである。
やっていることは本当に毒を混ぜるのと変わらない。
こういう誤解を招かないためにも、アレルギーという言葉は真の意味でのアレルギーでない限りはあまり使わないほうがいい。
よって、「私説明書アレルギーだから! 」と半ギレでスマホの使い方をショップの店員に詰め寄るのではなく、「俺は説明書読んだら死ぬ病なんだ」と、もっとわかりやすく「ただの困った人です」と自己紹介すべきなのである。
そしてこの季節、日本国民を悩ませるアレルギーが「花粉症」だ。今では罹っていない人間のほうが少数派ではというぐらいポピュラーなアレルギー疾患だろう。
花粉症は、症状こそ死に至ることはないかもしれないが、避けようがない、という意味では凶悪である。
最近は食品もアレルゲン表記がきちんとされているので、食品アレルギーなどは気を付ければ避けることができる。しかし花粉症の場合、アレルゲンである花粉の混入場所は「空気」である。それを避けようとしたら呼吸をやめるしかない。
呼吸をやめれば花粉症の症状は治まるかもしれないが、今度は「死」という別の症状が現れはじめる。そしてどちらかというと花粉症より「死」のほうが病状としては深刻なため、人は呼吸のほうを取らざるを得ない。
また、事前に「今日は花粉症の人がいるんで花粉は入れないでください」とスギやヒノキと打ち合わせすることも不可能であり、「花粉が入っているじゃないか」とクレームを入れる場所もない。
よって人類は、マスクをしたり薬を飲んだり、鼻をレーザーで焼いたりと、己を改造するしか対抗手段がないのである。
ちなみに私は花粉症ではないし、今年も幸い発症していない。
前にも書いたが、私の長所は「花粉症じゃない」ことだ。ちなみに特技も「花粉症じゃない」ことである。
つまり花粉症になってしまうと、履歴書の長所特技欄を完封されてしまうので、何としてでもなるわけにはいかない。
もしかして花粉さんもそういう奴は見逃してくれているのではないだろうか。
ちなみに、アレルギーではないが、見ると具合が悪くなるものはある。それは「他人のサクセス」だ、これを見ると、発汗のち嘔吐、そのあと強いうつ状態になる。
よって、私と話をする際には、会話の中に他人のサクセスが混入しないように細心の注意を払ってもらいたい。さもなくば、『キングスマン』のサミュエル・L・ジャクソン級の遠慮のない嘔吐を見るはめになる。
ただ、もちろんこれはアレルギーではない。しかし、アレルギーでなければただの好き嫌いなので、すべてガッツで克服すべきかというと、そんなこともない気がする。
人には誰でも、好き嫌いと得手不得手がある。それを無視して、嫌いな食い物を無理やり食わせることに、そこまで意味があるとも思えない。
自分がトマト農家だったとして、作ったトマトがトマト嫌いの奴にイヤイヤ食われている様を見たいかという話である。食い物というのはそれが好きな奴に食われるのがベストなのだ。
よって、他人のサクセス話も、それが好物だという人間の前でしてあげてほしい。