漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「マラソン」である。
おそらく体育の中では一番嫌われていた奴だろう。 なぜ自動車、チャリ、馬など移動手段が発達した世の中で、もっとも能力の低い人間が時速10km程度で走らなければならぬのかと、誰もがその意義を疑っていたはずだ。
それにもかかわらず、マラソンはわざわざ「マラソン大会」が開かれたりとなぜか学校でフィーチャーされた存在であり、父兄までもが見物に来て、ビリゴールの奴に勝手に感動して拍手を送ったりするため、体育嫌いをさらに嫌いにさせてきた。
このように、スポーツの中でも「純粋に苦しい」上に「苦しい時間が長い」という、玄人向け、マゾ垂涎競技であるマラソンだが、私は運動の中で何が一番得意かと聞かれたら「マラソン」と答えると思う。
もちろん「私の中で」であり、人より秀でているというわけではない。体育は常に「3」で運動神経は平凡なのだが、そこに道具やスキルが必要になると一気に「1」になり、さらにチームプレイが求められる競技になると「マイナス5兆」になる。
マラソンや長距離走というのは、そういったマイナス要素が比較的少ない競技なのである。
まず「可能」という要素が大きい。
体育には「逆上がり」など「どう頑張ってもできない奴がいる」という致命的プログラムが組み込まれている場合が多いのだ。
その点「走る」というのは、できない人間があまりいない。手足が同時に前に出ていなければ大体の人間は前に走ることができる。
もちろん速く走ろうと思ったらスキルが必要になってくるのだろうが、根本的にできないということはなく、練習をしたり頭を使ったりしなくても「とりあえずできる」というのが「走る」の良い所である。
前にも書いたかもしれないが、私は中学生の時ソフトボール部だった。
なぜそんな部に入ったかは話せば長くなってしまうので、「その時タッチが再放送をしていた」とだけ言っておこう。
ソフトボールというのは、想像以上にデカくて硬い球をグローブでキャッチしたり、棒で打ち返したりするという常軌を逸したスポーツだ。
「3つ以上はたくさん」と同じように「道具が2つ以上はインポッシブル」なのだ。
よって、私にとってソフトボールというのは「雄たけびを上げながらボールをできるだけ遠くへ投げる」ところまでが限界のスポーツだったのである。
当然、全く上達せず、レギュラーは後輩に奪われ、やる気もなかった。そんな時、私は部活中、手の指にヒビを入れてしまった。
そこまでヒドイ怪我でもなかったし、むしろ包帯やギプスに憧れを抱いているリアル中二時代だった上、その時奇しくも『新世紀エヴァンゲリオン』が全盛であった。
そんな数え役満で、私は「まんざらでもない」という顔で指にギプスを巻いて過ごしていたのだが、その怪我をいいことに、治った後も私は「指が痛む」と理由をつけて、部活の時間はずっとソフトボールの練習をせずに学校の周りを走っていた。
毎日10kmぐらいは走っていたと思う。
「ソフトの練習よりそっちのほうがキツくないか」と思われるかもしれないが、私にとってはそちらのほうが格段に楽だったのだ。
なぜなら、長距離走というのは「圧倒的孤独」だからである。
走るというのは、誰とも協力する必要がなく、全て自分の采配でやれるという、まさに私にとって「自由で救われた時間」だったのである。
しかも、ボールを棒で打ち返すよりよほど「やりとげた感」を得られるのだ。
そして、長距離走というのはある程度ペースができると「暇」という特徴がある。その時間は機械的に足を動かしながら思う存分空想の世界へ行くこともできるのだ。
部に所属して本格的にやるならまた別だろうが、趣味としてやるならマラソンほど「協調性皆無」「気づいたら人の話を聞かずに別のことを考えている奴」に向いているスポーツはないのではないだろうか。
そのようにソフト部に所属しながら1人で空想部を続けた結果、その年のマラソン大会では10位以内に入ることができた、体育では常に中の下である私なので、体育教師に「そんなに走れるとは……」と驚かれたのを覚えている、私が唯一運動で褒められた記憶だ。
これも「チームプレイをするぐらいなら3時間走っていたほうがマシ」という、揺るぎなき協調性のなさが生み出した結果である。
今でも時間ができたらジョギングをやりたいとは思っているのだが、何せ我が家は「住民を見かけない謎の家」という認識をされているのに加えて、最近「ずっと回覧板を回す順番を間違えていた」ことが発覚した上に「だが誰も何も言わなかった」という「町内の腫れ物」である。
そんな家の住民が、完全に心ここにあらずな顔で近所を走っていたら案件だろう。
ルームランナーを買って、また部屋を狭くしようかと、本気で検討中である。