漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「爪切り」だ。
出た。当コラム名物、担当の「何か単語を言っとけば何か書いてくるだろう」と思っているテーマだ。
昔「俺は何かお題を言ってもらえれば、ある程度話をつなげられる」と言っていた人に「じゃあ、塩ビパイプ」と言って本気でキレられたことがあるので、こういう真似はあまりしないほうが良い、いつか死人が出る。
しかし、爪切りというのは些末に見えて重要な物である。少なくとも爪を切らないと人は生きていけない。
生きづらいとかではなく、爪を伸ばしっぱなしにするといつか大動脈を突き刺して死ぬからだ。噛みちぎってでも爪は短く保つ必要がある。しかし、爪切りというのは儚い存在なのだ。
皆様は、片づけができない人間の最大の特徴は何かご存知だろうか。
「くさい」
確かにそれは正解だが、そのニオイはスタンダードな死んだ動物の香りから、目に染みるケミカル系までいろいろある。死骸系でも「魚類」は他とは一線を画す存在だ。このように票が分かれてしまうため、逆に「くさい」は順位を下げてしまう。
その隙に、片づけができない人間の最大の特徴・第1位をかっさらっていくのが「物を元あった位置に戻さない」なのである。
「爪切り」というのは、この「元に戻さない力」を示す格好のアイテムである、試し割りされる瓦に相当する。他には「耳かき」「体温計」などがこの力の餌食になりがちだ。
我が家には爪切りがおそらく2つある気がする、曖昧なのは今その姿がどこにも見当たらないからだ。
爪切りは夫と兼用であり、大体リビングに置いてある。私は爪が伸びると、リビングから爪切りを拝借し、自分の部屋で爪を切る。
何故その場で切らないのかと言われたら「何事も自分の巣でしたい」のが引きこもりだからだ。
そして切り終わったら、当然のように「そこら辺」に置く、そこら辺とは「そのとき空いてるスペース」なのでそのときによって違う、机に空きがなければ、床だ。
これを繰り返すことにより、ありとあらゆる家の物が我が部屋に集結してくる。片づけられない奴の部屋に物が多いのはこういう原理である。
よって夫が「爪切りどこにある?」と言うと、爪切りを持った私が部屋から颯爽と現れる、というのが我が家の標準的な「爪切り登場シーン」だ。
だがたまに、爪切りが登場してこないというNGシーンもある。
爪切りは昔の大女優的なところがあるため、出番が来ても化粧のノリがイマイチという理由で出てこないことがままあるのだ。
というのはもちろん嘘で、「室内で爪切りをなくす」からだ。
引きこもりというのは、天照大神みたいなところがあるため、部屋の中に無意識に神域を作り出してしまうことがある、よって爪切り程度の物はよく神隠しに遭ってしまうのだ。
この「部屋の中で遭難者を出せる」というのも、片づけられない奴の大きな特徴だ、ここでの行方不明者は死体があがることさえ滅多にない、まさに完全犯罪だ。
このような人間は「消耗品の幅が広い」ことでも有名だ。
文房具は大体「使い捨て」である、消しゴムなど、四つ角を使うところまでいけたら「使い込んだ」と言っても過言ではない。
もちろん「爪切り」も、こういう人間にとっては消耗品にカテゴライズされる。
つまり爪切りをよくなくすわけではなく「ちょっと爪切りを切らしている」という時が多いだけなのである。
よって、爪切りがないからといって、床を這いつくばって探したりはしない、潔く「切らない」という姿勢で、爪切りが自ら常世の国より帰ってくるのを待つ。
私の爪がよく伸ばしっぱなしになっているのは、そんな不退転の決意と、爪切りが無事帰還するよう祈る願掛けでもあるのだ。
しかし夫は私とは真逆で、なくなったものは見つけるまで探すタイプである。つまり、爪切りが見つからなければ、見つかるまで探すのだ。
しかし、爪切りは私の部屋で神隠しに遭っているので、どれだけ探しても見つかるはずはない。
そんな神に連れ去られた爪切りを探し続ける夫を見て「座して待つ」ができるほど私の神経も太くないので、そんな時は床を這いつくばって探すようにしている。
よって、爪切りが埃まみれになった私に救出されてくる、という劇的な爪切り登場シーンも我が家ではよくあることだ。