漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「特技」だ。
「そんなものはない」と、フォルダ常駐の横山三国志の関羽の画像を出すのは容易い。
しかしよく考えてみたら、特技と称して「指が消えるマジック」を億面もなく見せる人間よりも「いや、特技などと言えるものは、とてもとても、くわばらくわばら……悪霊退散!」と言って逃げる人間のほうがよほど自意識過剰な気がしてきた。
カラオケに行っても、ただ音痴な奴よりも、歌う前に必ず「この曲は他の曲よりキーが……」とひと言イイワケを添える奴のほうがムカつくだろう。
誰が貴様にプロ級の歌唱力を求めているのか、という話である。
つまり特技を聞かれたことに対し「相手は俺にすごい期待をしているに違いない」と思うから、そのような猛烈な反応で「ない」と言ってしまうのである。
そこには「聞かれたことに答えてがっかりされちゃたまらねえ」という自意識過剰に加え、被害妄想さえ存在している。
市井の人間にそこまでの期待をして特技を聞く奴がいたらそいつのほうが間違っているし、「足が速い」と答えた人間に「ボルトより? (笑)」とかぶせる人間がいたら、そいつがクソリプ野郎なだけだ。
つまり「特技は」と聞かれたら、相手をあっと驚かせる必要などなく、自分が得意だと思っていることを言えば良いだけなのである。
しかしそれでも「特技は」と聞かれて即答できる人間は少ないだろうし、考えた結果「特にないです」と言ってしまう者も多いだろう。
これは、日本が謙虚さを重んじる国だからかもしれない、謙虚は良いことだ。
しかし日本の女性に「自分の顔に点数をつけてください」と言うと、その平均点は諸外国に比べ著しく低いという。
つまり日本は世界に誇るドブス大国、というわけではない、謙虚を良しとしすぎて、日本人は全体的に自己評価が低い国になっているのである。
自己評価が低いと、本来なら高い能力を持っている人間すら「俺はこんなものだ」と思いこんでしまい力を発揮することがなくなり、日本の国力は落ちる一方だ。
日本の未来のために、大人が子供の前で必要以上にへりくだってはならぬのである。
私も常に言うことが自虐的だと言われ続けてきた、そういうのは手前は良いかもしれないが、子供の教育には良くないのだ、よって「特技は」と聞かれるや否や、アカペラで1曲披露できるぐらいでなくてはダメなのだ。
したがって、私も「特技は」と聞かれたら、即答できるようでなくてはならない。私の特技は「寝られる」ということである。
これはどこでも寝られるという場所的な意味ではなく、精神的に何があっても寝られるということだ。
私も36年生きてきて眠れぬ夜もあった、と言いたいが一度もない、眠れなくなるようなことがなかった、というわけではなく、どれだけつらいことがあっても眠れる、というか起きていられないのだ。
食欲に関しては惜しいことに今まで「飯も喉を通らない」ということが2回ぐらいあったのだが、寝に関しては今のところパーフェクトゲームだ。
人間は寝ないと死ぬので、何があっても寝られるというのは立派な特技だし、生物的に強いということである。
つまり、やることだけではなく精神も雑ということだが、雑というのは言い換えると「粗削り」ということである。
粗削りというのは短所でもあるが、そのあとに「だが光るものがある」と付け加えられることが多いし、「未完の大器」感がある。
本当に未完のまま終わるケースもよくあるが、完成する可能性がないとは言い切れないので、死ぬまで「未完の大器」を名乗ることはできる。
人生は長い。一瞬のリアルな輝きより、いかに長い時間夢を見続けられるかのほうが重要なのだ。
それを考えると「寝られる」という特技も生きてくる、寝る時間が長ければ長いほど、リアルに夢を見る時間が増えて、現実滞在期間が減るのだから一石二鳥だ。
私は自分のこの「粗削りさ」をあと50年くらい大事にしていきたい。
このように「特技は?」と聞かれて、「特にないっす」と答えてしまう思考停止は、日本の未来、つまり自分のために良くない。
考えれば何かあるはずだし、本当に何も浮かばない場合は「呼吸っすかね」と言えばいい、生まれてから1日も休まず続けてきている時点で特技だし、もはや「呼吸の達人」と言っても良い。
誇れるものを持った大人の雄姿を子供たちに見せつけるのだ。