今回のテーマは「ダイエット」だ。
うるせえ! 俺は痩せる気なんかねえって言っているだろうが、静脈にラード注入してサラミにしてやろうか!
突然ブチ切れ金剛で申し訳ないし、この例えが誰にも伝わってないことにも重ね重ねお詫び申し上げる。しかしこのテーマ、明らかに前もやっている気がしてならないのだ。
もしかしたら別媒体でかもしれない。だとしたら担当はサラミにされ損なのだが、担当というのは突然殴りかかって良いと法律で認められている生き物だし、最終的に私は担当を全員抹殺する予定なので順番が変わっただけに過ぎない。
つまり、他所では絶対にダイエットについて書いているし、その時とダイエットに対する姿勢は全く変わっていないので、改めて書くことは何もないという状態だ。今すぐ過去に書いたダイエット記事をコピペして納品したいのだが、いつどこで書いたか全く記憶にないので、結局同じことを書くしかない。
最初に言った通り、私は今、特に痩せる気がない。
もちろん太っていないからではない、体重は確実に上昇傾向にあると思う、人生の調子とは反比例だ。
しかし、私はそもそも体重計に乗る気がない。
この「体重計に乗らない権利」というのは「黙秘権」「弁護士を呼ぶ権利」に並ぶ、人権とも言って良い権利だ、何人たりとも侵すことはできない。
何故乗らないかというと、体重計に乗らなければ体重が増えたかどうかもわからないからだ。つまり太ったということにならない。
よって「ダイエットの必要はない」という完璧な方程式が成り立つ。
もちろん、体重や体型が気にならないわけではない、だが平均寿命から考えると、残りの人生は50年しかないのだ。
そんな余命いくばくもない状態で、見た目を気にして食いたい物を食わないというのは、最後の晩餐で「炭水化物抜きでお願いします」「カロリミット用意しといて」と言うようなものだ。
そもそも「ダイエット」というのは個人差もあるだろうが、年をとるごとに関心が減っていく傾向にあると思う。
大人になるにつれ、しなければならないこと考えなければいけないことは増えていくので、その中でさらに「体重のことも気にしながら生きる」というのは相当キツイ。
また、年をとると体力の低下からか「もっと楽に生きたい」「自由になりたい」という気持ちが強くなるので、大きな縛りである「ダイエット」は人生項目から早々に脱落しがちなのだ。
もちろん私のチェックリストからも早期抹消された。
よって、いくつになっても自分の体形や容姿に気を配っている人には頭が下がる思いである。
しかし「美容」や「ダイエット」がフェードアウトするのと同時に人の関心事にインしてくるのが「健康」だ、そして健康と体重には大きな関係がある。
太り過ぎは体に害であるし、他にも体重が生活に支障をきたすようなら、体形とか容姿とかは抜きにして、やはりダイエットの必要があると思う。
私は現在、そこまで太っていない、と思う。
もちろん、ここ数カ月まともに人間に会っていないので、あくまで私の主観だ。夫も毎日私を見ているため、変化に気付いていない気がする。
つまり、人知れず0.1tぐらいになっているかもしれないのだが、基本的人権の保護という観点から体重計に乗るつもりはないので不明である。
そもそも、体重というのは数字を気にするものではない、との意見もある。
脂肪と筋肉とでは筋肉のほうが重いのだから、数字的に体重が重くても痩せて見える人や、数字の上では39キロだが、単身でエレベーターを止めてしまう、という体重計が壊れている人も存在するのである。
よって、私もたとえ今数字的に0.1tでも、健康で生活に支障が出ていないならやはり痩せる必要はないのだ。
健康については「健康診断に行ってないので健康を害しているかどうかさえわからない」という体重計理論と同じ状態だが、こればかりはシャレにならないので時間を見つけて、いつかその内、この窓から見える葉っぱの最後の1枚が落ちた時にでも行こうと思う。
では目に見えて生活に支障が出ているかというと、確かに階段で息は上がるが、部屋のドアに挟まって出られないというほどではない。
つまり部屋から出られなくなったらダイエットを始めようと思うが、そもそも無職なので部屋から出る必要も特にないのだ。
やはり私にはダイエットは必要ないようだ。