今回のテーマは「マッサージ」だ。
私も座業の宿命のように肩こりが酷い、どれだけ酷いかというと、ハワイでマッサージを受けた時にマッサージ師が「オーマイガッ」と言ったぐらいだ。
このように、肩こりが酷い人間は、そのこり具合を語る時には若干得意げとなり、「マッサージ師に言われた衝撃的なひと言」をすべらない話のように繰り出してくる。そのうえ、「私も酷いんですよ」と話に乗ってあげると「お前はまだ本当の“こり”を知らない」というマウンティングを始める。
ウザいとは思うが「自分の体がポンコツ」ということぐらいしかイキる材料がない悲しいモンスターなので、そういう手合いが「肩こりすべらない話」を始めたら、ちょっと笑ってあげてほしい。
それはともかく、私の肩こりが酷いのは本当である、さすがに肩こり自慢をするために伊達肩こりをする奴はいない、と言いたいが、私は「伊達近視」をやったことがあるので断言はできない。
「伊達近視」とは「伊達メガネ」とは違い、メガネをかけているわけではないが、目が悪いフリをすることだ。
何故そんなことを、と聞かれると答えに窮するのだが、人はそういう自分でも説明不能な「キャラづくり」を繰り返して自分を見つけるのである。
だが、もし今「肩こりキャラ」として生きているティーンがいたら、「それ全然面白くないからやめておけ」とだけ伝えておきたい。
私は肩こりが酷いので当然マッサージには行くのだが、肩こりというのは日々の積み重ねであり、30日間そういう仏像なのかと思われるぐらい座り続けたあとに、1時間程度のマッサージで「魔法のように治してくれ」と言っても無理な話なのである。
よって、マッサージに関しては「体調を良くする」というより「ただその1時間気持ちよければいい」という、ストロングゼロと同じ楽しみ方になってしまっている。
だがマッサージも頻繁に行くわけではない、何故なら人と接するのが面倒だからだ。受付に名を名乗るだけで私の肩は人間100人を乗せたぐらい重くなり、イナバ物置みたいな気分になる。
それに、マッサージ師との意思疎通も難しいのである。
私は人間との会話のターン数を減らすのに命を懸けており、「力加減どうですか」とかいう質問にも全部「それでいいっす」みたいな返答をしてしまうため、花山薫みたいな握力で揉まれてもそれを1時間我慢するしかないのである、もちろん「もうちょっと弱くしてください」が言えないからだ。
ただでさえ「痛い」とか「弱くしてくれ」は言うタイミングが掴めないものである。何故なら我々には「痛いほうが効くのでは」という思い込みがあるのだ。
中には、痛いことを売りにしているような足つぼマッサージもある。
「痛い」と明言しているものをわざわざ受けに行き「痛い」と騒いで喜ぶという、他の動物にはない習性を持つ変態生物が人間なのである。
だからマッサージも、多少痛くても「痛いということは効いているはず」と我慢してしまうことがままあるのだ。
しかし、手術で麻酔が効いているはずなのに痛みを感じた時「痛いほうがこの手術は成功する」と思うだろうか、「速やかに麻酔を足せ」と言わないと大変なことになる。
それと同じようにマッサージの痛みも「ただ痛いだけ」の可能性が大いにあり、さっさと「弱くしてくれ」と言ったほうがいいだろう。
ただ、その「いい具合」をマッサージ師に伝えるのが面倒なのである、よってそのままパッとしない1時間を過ごすことがよくある。
こういうことを想像すると、なかなか行く気になれないため、これまでも2カ月に1回行く程度だったのだが、無職になってからは1度も行ってない。
肩こりが治ったわけではなく、むしろ痛いのがデフォルトになってしまい、痛い日とすごく痛い日しか存在しなくなった。
では何故行かなくなったかというと、無職なので「自分にご褒美」を与える必要がなくなったからだ。
会社員時代は褒美を取らせるほど頑張っていたのかと思うかもしれないが、週5日、朝起きて出勤していただけでも金印を与えていいぐらいの獅子奮迅ぶりだ。
「自分にご褒美」と聞くと、大して頑張ってもいないOLの浪費の言い訳のようにも聞こえるが、出社している人間はすべからく自分に褒美を取らせるべきだと、無職になった今は思う。
だがそれ以前に、無職になり、ますます人と接しなくなったため行くのが余計に面倒くさくなったというのもある。
今の状態でマッサージに行ったら、受付で名前を言った時点で肩から石化が始まり、言い終わる頃には「肩が痛い中年の像」が出来上がってしまうので、店に迷惑だ。
では肩こりにどう対処しているかというと、痛み止めや患部に何かするより、風邪薬などで身体を全体的にボンヤリさせるのが一番効果的だという結論に達した。
やっていることが「悩みをなくすよりストロングゼロで悩む思考力をなくす」のと同じな気がするが、もはやこの人生、問題の解決よりだましだましやっていくしかないのである。