今回のテーマは「台風襲来」である。
今年の夏は本当に、台風をはじめ災害が多かった、被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げる。
我が県も豪雨被害には遭ったのだが、幸いにも私の住む地域には影響がなかった。私の住んでいる場所は、わりと災害の少ない地域である。
今まで受けた災害被害は、前に書いたと思うが、小学生の時に経験した体育館の屋根が吹っ飛ぶほどの台風(それにもかかわらず翌日の運動会は決行というエクストリームスポーツが行われた)が最大であり、それ以降、大きなものはない。
その時も大人は大変だっただろうが、なんせ私は小学生だったので、台風も停電もレジャー感覚だったと思う。
もちろん、災害などないに越したことはない、しかしあまりにも災害がないと人はどうなるかというと「油断する」。
現に、今我が家に災害に対する備えがあるかというと、無に等しい、特に我が家はオール電化なので停電した瞬間「詰む」家である。
辛うじて懐中電灯はあるが、その中に電池が入っているかは「未知数」の段階だ。せめて防災袋の一つぐらいはと思っているが、ネットで調べては値段を見てやめる、を繰り返している。
ちなみに、防災袋は5億円ぐらいする、というわけではない、高くても2万円程度だ、私の命が時価で18円なことを考えれば高い買い物である感は否めないが、それで有事の際の安心が買えるなら決して高額ではない。
それにもかかわらず、なぜ購入を躊躇するかというと、心のどこかで「俺の村がこんなに被災するわけがない」と思っているからだ。
今まで被災しなかったことが「これからもしない」という考えに繋がってしまっているのだが、もちろんそんなわけはない、持ち回り制ではなく「いつやってくるかわからない」義理の両親みたいな奴が災害というものである。
しかし、人間には大なり小なり「俺は大丈夫」という謎の自信があったりするものだ、若者がJJIやBBAをバカにできるのは、自分もそうなるという想像が全くできないからであり、それは実際に自分が年を取るまで理解できないものである。
よって、災害なども「大丈夫じゃない」状態になって初めて「あ、俺も被災とかしちゃうんだ?」と気付くものなのだが、それはBBAになってから「武田久美子が着てた貝の水着 着ておけばよかった」と思うようなもので、遅いのだ。
100歩譲って、貝の水着はBBAになっても着たいなら着ればいいが、災害は巻き込まれた後では遅い。
しかし、世の中には「俺は大丈夫感」が強い人間がおり、備えをしないのはもちろん、災害に果敢に挑んでしまう者すらいる。
もちろん人にはいろんな事情があるので、台風でも外に出なければいけない時もあるだろう、それでもよほどのことがない限り出るべきではない。
田んぼや用水路が気になる気持ちもわかるが、命あっての田んぼと用水路である、まして、ツイッター映えしそうな動画が撮れそうなどという理由で屋外に出てはいけない。
しかし、問題は私の夫がおそらく「そういうタイプ」であるという点だ。
私については全く問題ない、そもそも快晴時にすら部屋から1歩も出ない人間が、台風の時に外に出るわけがない、どちらかと言うとヤバくなっても動かず、避難勧告を無視した米津玄師みたいになる側である。
夫はSNSなどをやっておらず、いいね亡者というわけではないが、若干社蓄気味であり、さらに「俺は大丈夫感」も強く、何より農業に携わる仕事をしている。
つまり典型的「田んぼを見に行く人」なのだ。
自分もそうだが、「大丈夫と思っている人」に大丈夫ではないということをわからせるのは至難の業である。
私も、これだけテレビで被災地の様子を見て未だに防災袋を買っていないのは、結局わかっていないからだ。
よって、今後うちに台風が来たとき、田んぼなどを見に行こうとする夫をどうやって止めたらいいかが、今後の課題である。
ちなみに夫の方は、無職になって以来完全な引きこもりと化した私を「どうやって外に出すか」を考えているようであるが、これに関しては全く解せない。
何故なら、家、そして自分の部屋ほど安全な場所はないからだ、むしろあらゆる災厄は部屋から出たことにより起こると言っても過言ではない。
物理的災難はもちろんのこと、外には「人間関係」という一番人命を脅かすものが存在するが、なんと部屋の中に一人でいると、それらは発生しないのである。
それにもかかわらず、何故夫は己の妻を、そんな危険な場所へ出そうとするのか。
やはり、田んぼを見に行く系の人の考えることはわからない。