今回のテーマは「国民栄誉賞」である。
何なのだこのテーマは、俺が獲るとでも思っているのか、もちろんくれるならもらう。
しかしこの国民栄誉賞は「なんかすごいことした国民に贈られる」という割と漠然とした賞であり、ジャンルも限定されてない。確かに私は勝手に住んでいる感があるがこれでも日本国民である、よって「ワンチャン」あるのだ。
今までの受賞者を調べてみたが、スポーツ選手が多く、あとは歌手、作曲家、棋士などが受賞している。
しかし、受賞者は「長くその分野で活躍した人」もいるが、「初の金メダル」など、瞬間最高活躍タイプ、つまり「流行りのアイツにあげとこう」という傾向もあるように見える。
ちなみに、過去には漫画家も一人だけ受賞している、『サザエさん』の作者・長谷川町子氏だ。文字通り国民的漫画&アニメを生み出した人である。
よって私が国民栄誉賞をもらうには、サザエ越えの漫画を描かないとダメということだ、距離的には金メダルを獲る方がまだ近いように思える。
もちろん『サザエさん』以外にも、日本には有名な漫画がたくさんある、しかし「国民的」となると限られてくる。
そんな国民的作品を作り出してきた漫画家の一人、さくらももこ先生が先日亡くなられた。
私は世間に疎い、というか常に「世間が俺を置いていく」ような状況なので、有名な人の訃報を聞いてもまず「だ、誰や?」となってしまうケースが多いのだが、さくら先生の訃報は本当に驚いた。
正直、今でもさくら作品を追っていたかというと否であり、割と早い段階で卒業してしまってはいた。
だが、それでもさくらももこに出会わなければ私は漫画家にもコラムニストにもなっていなかったかもしれないのだ。
もちろん、鳥山明氏や尾田栄一郎氏が「これに出会ってなければ漫画家になってなかったかも」と言い出したら大事件だが、何せ私なので、文化的損失はゼロだ。
だが実際彼女の作品に出会わなければ、私は今頃無職で部屋から一歩も出ず、一日ツイッターとかしていたに違いないのだ。
つまり今と何ら変わりないのだが、そこに至る道のりは変えてくれている。
さくらももこ作品に触れたのは、もちろん彼女の代表作『ちびまる子ちゃん』である、その時私は小学二年生だった。
当時から絵を描くのが好き、というか絵を描くと褒められるので好きだった。
これは別段絵が上手かったわけではない、大体、幼子が絵を描いたら、大人は褒めるものである。むしろそれで「自分は絵が上手い」と思い込んでしまったことが失敗だった、もちろん親にとって。
よって、もし死んでも就かせたくない職業があるなら「その分野では褒めない」という作戦は有効かもしれない、だが基本的に親がなんと言っても無駄なのが子どもというものである。
そんな私が『ちびまる子ちゃん』の単行本を買ってもらったのは、小学二年生の夏休み、父の実家へ帰省するときのことだった。
当然『ちびまる子ちゃん』、本編も非常に面白かったが、初期作品には巻末付近に作者のエッセイ漫画が掲載されており、さくらももこが「りぼん」への投稿を経て漫画家になるまでのことが書かれていた。
それが非常に面白く、読んだ瞬間「私も漫画家になる」と、親戚中の前で宣言していた。
何せ、小学二年生の言うことなので、みんな「いいね!」という反応だった。
その十年後「漫画家になりたいと口では言っているが、具体的には何もしない」という、まったく「よくないね!」な状態になったのだが、結果的に漫画家になることはできた。
しかし、私がそんなハイパーメディアクリエイトしないニートだった年齢で、さくらももこはすでに『ちびまる子ちゃん』の連載を始めていたのである。
また、「エッセイ」というジャンルに初めて触れたのもさくらももこの『もものかんづめ』だ。
それまでも本は読む方だったが、エッセイというジャンルにはノータッチだった。 しかし「あの『ちびまる子ちゃん』の作者が書いたものなら間違いなく面白い」と確信して買ってもらって読んだら、間違いなく面白かったのである。そこで、文章で笑わすことができるということを知ったのだ。
ところで『もものかんづめ』には「メルヘン翁」という有名なエッセイが収録されている。内容は「己のジジイが死んだ日のことを特に愛があるわけじゃないユーモアで描く」というもので、当時でも賛否が分かれ「二度と読まない」と激高した読者もいたそうだ。
さくら氏はそれに対し「気を悪くしたならすまない」と謝りつつも、ジジイはとんでもないいじわるジジイで悲しくないものは悲しくない、とも語っていた。(よってまる子のおじいちゃんをあのように優しくしたとも)
この、身内だろうが悲しくないものは悲しくない、というのは確かにわからない人にはわからないことだと大人になった今なら思う。
ちなみに、当時小3ぐらいだった私は、このメルヘン翁を全く不謹慎と思うことなく、大そう気に入り、母親の前で全文朗読し、大いにドン引きさせた。
内容の賛否は置いておいて。それはちょっとやりすぎだった、と思う。