今回のテーマは「かき氷」である。前にかき氷を食べたのがいつだったか、すでに思い出せない。私はかき氷を自ら進んで食べることがないからだ。何故なら「元は水じゃん」という、デブとケチが融合した考えを持っているからだ、とても何を食ってもウンコにする生き物の発想とは思えない。
しかし、それは私の「かき氷イメージ」がジュラ紀で止まっているからだと思う。今のかき氷は様々な趣向が凝らされ、立派なインスタ映えするスイーツになっているという。
しかし、私はそれを見ても「でも主に水じゃん」と、とても70%は水の上にインスタ萎えするビジュアルをしている生物とは思えぬ判断で、パフェとか頼んでしまう気がする。
このように、かき氷という食べ物に懐疑的な私だが、子どもの時はやはり好きだった気がする。そもそも、かき氷を食べられる機会自体が少なかった。祭の出店ぐらいである。
出店のかき氷は、氷にシロップが一種類かけられただけという「99%水以外のなんでもないもの」なのだが、それでも300円とか出して、喜んで食べていた気がする。
祭で食べるかき氷の味は常に「ブルーハワイ」だった。他の味は「いちご」とか「レモン」とか、食べ物の名前がついていたにも関わらず、ブルーハワイは「地名」と「色」という完全な謎液体である。
いま思えば、ブルーなだけでハワイ味など全くしなかったのだが、あの合成着色料丸出しの「ブルーハワイ」こそ、かき氷以上に祭でしかお目にかかれない代物だった気がする。
そんな、子ども時代は相当な「レアキャラ」だった「かき氷」であるが、ある日我が家に「かき氷機」がやってきた。
もちろん、電動の大がかりなものではなく、手動のものだ、リサイクルショップで1000円ぐらいだったと思う。
それが我が家に来た日のことは覚えていない、おそらくテンションが上がりすぎて気絶し、記憶が消滅してしまったのだろう。
今では、金払ってでも人にやってもらいたい自分だが、子どもの時は、多くの子どもがそうであるように「自分で作れる」に大きなときめきを感じていたのである。
しかし、そういう子どものときめきと言うのは大体「コレジャナイ」により消えていくものである。
家かき氷の問題はまず「そこまで味そろえられない」というのがある。
かき氷シロップを店のように何種類も用意できないのだ、一般家庭があれだけそろえたら、冷蔵庫にめんつゆなどを置くスペースがなくなってしまう。
よって、良くて「いちご」のみ、もしくは専用シロップすら買ってもらえず「今あるジュースをかけろ」という雑な感じにされてしまう。
かき氷シロップ、というのは、無味の氷をそこそこ食えるものにするぐらい、かなり甘味が強く作られている。ただのジュースをかけたのでは「何か薄いもの」になるだけだ。
そんな物ばっかり食っていたら「かき氷ってそんなにいいもんじゃねえな」ということに気付いてしまう。
つまり、かき氷機が来たことにより、かき氷に対するスペシャル感が失われてしまったのである。その後私は祭でもあまりかき氷を食べなくなってしまったような気がする。
私が今頑なに「水じゃん」と言うのは、この経験があったからだと思う、それがなければ今でも喜んで元水を食っていたかもしれない。
あこがれを、雑な形で手元に置くよりは、ずっとあこがれのままの方が良いという好例である。
しかし、忘れ得ぬかき氷もある。新大阪駅で食べた「みぞれ」のかき氷だ。
私は実家にいたころ、毎年夏、父の実家である新潟に片道10時間かけて帰省していた。私は現在でも強度の乗り物酔いであり、特に子ども時代はこの10時間の陸路は苦行でしかなく、物がほとんど食べられなかった。
その時、数少ない口にできるものが、このみぞれのかき氷だったし、今思えば「唯一の楽しみ」だった気がする。
そういえば「みぞれ」とは何だったのか、みぞれは他のかき氷と違って、全く色がついていない。
調べて見ると、シロップ、つまり砂糖水である、あれほど「水じゃん」と頑なに言っているにも関わらず、かき氷の中でも「最も水」なものに喜んでいたのである。
しかし、乗り物酔いで死にかけていた体には、本当にあのみぞれのかき氷がありがたかったのだ。
あの新大阪のみぞれのかき氷が今でも売っているかわからないが、酔い止めであまり乗り物酔いしなくなった今食べても同じような感動はないだろう。
食べ物というのは食べた状況によって、味も感じ方も全く変わるのである。だから、今でも砂漠を3日彷徨ったのちなら、かき氷を美味しいと思うだろうし「ただの水サイコー! 」という風に考えを改めるだろう。
水、水言っているが、そもそも水ほど人間に大切なものはそうそうない。