「決済」というのは、基本的に各国・地域のローカルの話題です。経済事情も政治体制も文化も異なる中で、国に依存する決済事情がそれぞれ異なるのは当然のことで、それがいい・悪いではありません。
という前提をベースにしつつ、各国のキャッシュレス決済事情をこれまでも紹介してきた当連載。今回は東南アジアから、タイのキャッシュレス事情をチェックしてきました。
バンコクは現金利用が多い?
今回、タイ・バンコクで開催された金融・決済の展示会「Money 20/20 Asia」の取材のために現地を訪れました。もともと米ラスベガスやオランダ・アムステルダムで開催されているイベントで、アジア地域で初の開催ということで取材に来たわけです。
飛行機で到着して最初にするのは、空港から街中への移動です。ここでいきなり洗礼を浴びます。スワンナプーム国際空港から市内へ向かう空港線(エアポート・レール・リンク)のチケット購入が現金のみだったのです。券売機でも窓口でも現金のみなので、ここで降車駅マッカサン駅までの料金を調べて券売機で35バーツを支払って切符(トークン)を購入しました。
マッカサンから地下鉄のMRT(Mass Rapid Transit Authority of Thailand)に乗り換え。すると、こちらはクレジットカードのタッチ決済に対応していたため、クレジットカードで乗車できました。これは楽ちん。ただ、最初はAndroidのGoogleウォレットを使おうとしたところエラーが出て、駅員に聞くと「物理カードのみ」と言われたので、毎回カードを取り出しています。
個人的には、海外ではスマートウォッチ(Wear OS)でのタッチ決済が最も安全で簡単だと思っているので、これが使えないのは不便でした。
MRTはよかったのですが、高架鉄道のBTS(Bangkok Mass Transit System)を使ったところ、こちらはタッチ決済非対応。その代わり、券売機におけるチケット購入でLINE Payを使うことができました。
LINE Payは、利用国をタイに設定してクレジットカードを紐付けると、QRコードの読み込みなどで決済が可能。券売機の画面に表示されるQRコードをLINE Payで読み取れば決済できました。
ちなみにBTSは、Suicaのような電子マネー「ラビット・カード」に対応しています。こちらは窓口で購入。カード代金100バーツ、ミニマムチャージ100バーツ、合計200バーツで入手できましたが、チャージは現金のみです。
このラビット・カード、「LINE Payでチャージできる」という掲示があり、タイのLINEだと物理カードのラビット・カードを紐付けることができてタイの銀行口座経由でチャージができたようです。日本人の場合は券売機や窓口での現金チャージのみになるようです。
さらに、タイ国鉄のSRTで長距離列車に乗車したときは、駅の窓口で購入するのですが、こちらも「現金のみ」と言われてクレジットカードが使えませんでした。ただし、目的地のアユタヤ駅で復路のバンコク(クルンテープ・アピワット中央駅)行のチケットを窓口購入したときはクレジットカードが使えました。なぜかはちょっと分かりません。
今回はバンコクとアユタヤしか訪問していませんが、いろいろ移動したところ、現金のみの店などが多く、久しぶりに大量の現金が必要になりました。スーパー/コンビニエンスストア/ショッピングモールといったチェーン店はクレジットカードに対応した店が多かったのですが、唯一セブン-イレブンだけは「クレジットカードは最低200バーツ」の制約がありました。
さらに問題なのは小規模な店舗です。当然、バンコクで多く見かける屋台はほぼ現金のみしか受け付けません。観光地に行ってみると、寺院/王宮/遺跡などで見学料などが必要になりますが、多くは現金です。
他にも渡し船/レンタサイクル/自動販売機など、多くの場所で現金のみしか使えません。一部ラビット・カードに対応している店舗もありましたが、そもそもラビット・カードのチャージが現金であり、使えない店も多いのが難しいところ。
というわけで、かなりの場所で現金を使うはめになりました。欧州では現金を使う機会の方が少なく、もう現金を用意する必要はほとんどありません。それに対してタイは外国人旅行者はしっかりと現金を用意する必要があるようです。
ところで、街で現地のキャッシュレス事情を観察していると、現地の人も結構現金を使っているように見えます。そうした店にはもちろんクレジットカードのアクセプタンスマークもなく、自分は「現金のみ」と言われて支払っていたので、「バンコクはキャッシュレス化があまり進んでいないのでは」という印象を持っていました。
ところが、タイの銀行関係者に取材したところ、どうやらその印象は間違いだったようです。そのカギを握るのがタイのQRコード決済「PromptPay」です。
タイで普及するPromptPay
PromptPayは、タイの中央銀行を中心に銀行業界が構築した決済システム。もともとは2016年に社会福祉の分配という名目でスタートしたようで、日本で言えば給付金などの受け取りのためのシステムということでしょうか。日本では公金受取口座として銀行口座を指定しますが、これを決済システムに組み込んだのがPromptPayのようです。
2017年には送金機能/税金還付/eウォレット/QRコード決済、というように機能が拡張されていきました。2018年には国をまたいだ決済にも対応。順次、国をまたいだ(相手国のQRコード決済とPromptPayの相互の)送金にも対応していくようです。
最新の情報ではPromptPay IDの登録数は7,760万に到達。タイの人口は2022年で6,609万人ということなので、人口を超えています。これは、複数のアカウントを保有できるためのようでした。
トランザクションは1日6,270万件で、総額47.5兆バーツがやりとりされているといいます。QRコード決済が利用できる場所は900万カ所を越えているそうです。
PromptPayでは、銀行口座を紐付けて支払いを行います。基本的にはデビットカードと同じで、QRコード決済では口座からの即時引き落としになります。つまり、利用は銀行口座の保有が前提となるわけです。実際、タイでは国民の9割以上が口座を保有しているそうで、この保有率の高さがPromptPayの背景となりました。
その代わり、デビットカードの普及が進まなかったことも特徴的です。日本でも口座保有率の割にデビットカードが普及しませんでしたが、国際ブランドの取り組みが遅れたこととが原因でしょうか。
結果として、PromptPayはタイ国内で900万カ所という利用可能スポットを獲得。日本では2023年10月の段階で「『PayPay』や『PayPayカード』で買い物ができるお店やスポットが1,000万カ所以上」(PayPayのプレスリリースより)ということなので、少なくともPayPayが使える程度にはPromptPayが使えることになります。
そう考えると、街中でキャッシュレス決済が使えないように見えたのは単に店先にQRコードを掲示していなかっただけで、指定すればQRコードが出てきた可能性があるようです。現金で支払う人も多い印象でしたが、それがタイ在住の人でなかった可能性もあります。現地の人もほとんどのタイ国民はPromptPayを使っているという話でした。
ただ、現金の利用が多いことも確かなようです。タイ銀行のレポートによれば、タイの現金利用割合は66%。つまりキャッシュレス決済比率は34%ということで日本とほぼ同レベルといった感じです(日本は39%程度)。
前述の通り、公共交通機関の一部ではクレジットカードのタッチ決済が始まっています。反応はあまり速くなく、なぜかたまにタッチに失敗する不安定さもありますが、外国人旅行者にとっては使いやすい仕組みです。
同様に、Visaやマスターカード、そしてイオンが現地で取り組みを強化しているようで、クレジットカードの利用拡大に努めているようです。ただ、それでも今後、欧米並みどころか、日本レベルまででもクレジットカードが普及するかどうかは未知数かもしれません。ただ、タイ銀行のレポートではクレジットカードの利用も増えているということなので、今後の取り組み次第かもしれません。とはいえ、現時点でクレジットカードがどこでも使えるというわけではありません。
その点で期待されるのが、QRコード決済の国境を越えた取引です。PromptPayは基本的にタイ国民向けのサービスで、タイの銀行口座番号や携帯電話番号・タイの身分証明書といったIDが必要なため、外国人旅行者には利用のハードルが高くなっています。
国をまたいでQRコード決済が使えるようになれば、クレジットカードのように海外でも利用できます。すでにPromptPayは日本で2018年から利用可能になっており、その後もカンボジア、ベトナム、マレーシア、インドネシア、シンガポール、香港、ラオスとエリアを拡大。シンガポールでは送金にも対応しました。
こうした国では、タイ国民がPromptPayを現地で利用して決済ができるようになっているわけです。もちろん、その国でPromptPayの加盟店が増えることも前提です。その点、独自に加盟店開拓を続ける中国のAlipay/WeChat Payは、タイでも多くの加盟店があって強みを生かしています。これによって中国人はタイでも自国のキャッシュレス決済が利用できる状態になっています。
日本においてPromptPayはそこまで加盟店が広がっていないようです。このあたりの加盟店開拓は、お互いの国にとっても重要でしょう。
PromptPayが利用できるようになった8カ国は、日本を除いてほぼ相互利用ができているそうです。そうした国の国民は、対応QRコード決済を持っていれば、タイで決済が行えるということになります。現在、日本では経済産業省がインドネシアとカンボジアに対して「統一QRコード決済分野における協力覚書(MOC)」を結んでおり、アジア各国とQRコードの統一化を図っています。
日本にはJPQRと呼ばれる統一QRの規格があり、1枚のQRコードを掲示すれば複数のQRコード決済を受け入れられるようになっています。これを海外とも連携することで、相互利用を可能にするというのが現在の取り組みです。
まだタイとは覚書を締結していませんが、こうした取り組みが進めば、「日本のQRコード決済のユーザーが、タイの加盟店で決済ができる」状況が実現するかもしれません。
もっとも、ここにはまた別の課題がありますが、それは今後別の機会に解説したいと思います。
いずれにしても、現状のタイは日本人旅行者にとって、「キャッシュレスのハードルが高い国」と言えそうです。今後クレジットカードがどこまでタイで普及するか、PromptPayで十分と判断するかは、タイ側の判断になりますし、国際ブランドの努力次第ではあるでしょう。
それを待つにしても、日本人にとっては統一QRコードによって日本で使っているQRコード決済がそのまま海外で使えるようになって、多くの加盟店でも使えるようになれば、かなりの利便性向上に繋がります。中国以外でQRコード決済が主力で使われている国であるタイの現状をふまえると、改めてJPQRの今後の取り組みを注視する必要がありそうです。