昔のクルマは、どうしてこんなに魅力的なカタチをしているのか。ヒストリックカーのイベントに足を運んだ人の多くは、こういう感想を抱いていることだろう。今回は、取材で国内外のヒストリックカーに接してきた経験を通して、この難しいテーマについて考えてみたい。

  • なぜ昔のクルマのカタチは人を惹きつけるのか。本稿では魅力的なヒストリックカーの画像を紹介しつつ、このテーマについて考えていきたい(画像はトヨタ自動車「2000GT」、2018年2月の「第10回 Nostalgic 2days」で編集部撮影)

昔のクルマは駆動方式が千差万別

前回の記事で紹介した「AUTOMOBILE COUNCIL」(オートモビル カウンシル)をはじめ、ヒストリックカーのイベントに足を運んだ人の多くはクルマのカタチ、つまりデザインを見に来ているはずだ。動かないし乗れないクルマを展示するイベントに、多くの人が相応の入場料を支払って入場しているのだから、魅力の源泉がデザインにあることは間違いない。

  • いすゞ自動車「117クーペ」(「第10回 Nostalgic 2days」で編集部撮影)

なぜ、ヒストリックカーのデザインは魅力的なのか。さまざまなヒストリックカーに実際に接してきた人間のひとりとして言及しておきたいのは、それらのクルマが個性を出しやすい状況で生まれたという点だ。

まずは技術面。ヒストリックカーが現役だった頃、現在の小型車の主役である前輪駆動(FF)のクルマは少なかった。同じ前輪で駆動と操舵の双方をまかなうには、エンジンの力をタイヤに伝えるドライブシャフトの途中に、首を振るためのジョイントを用意しなければならない。このジョイントのスムーズな動きを出すのに、各社が苦労した。

  • 日産自動車「ダットサン フェアレディ」(「第10回 Nostalgic 2days」で編集部撮影)

ゆえに、現在も大型セダンには見られるFR、つまりフロントエンジン・リアドライブを使い続けていた小型車は多かったし、いまでは希少なものという扱いを受けているRR(リアエンジン・リアドライブ)を使うクルマもけっこうあった。

日本もそうで、例えば1960年代の軽自動車では、RRの「スバル360」、FRのダイハツ工業「フェロー」や三菱自動車工業「ミニカ」、FFの本田技研工業「N360」などが同時に販売されていた。

  • 「スバル360」(2017年の「AUTOMOBILE COUNCIL」で編集部撮影)。愛称は“てんとう虫”

途中のモデルチェンジでFFからRRに切り替わったスズキ「フロンテ」のようなクルマもあったし、日産自動車は同じクラスのFF「チェリー」とFR「サニー」を同時に販売していた。

  • 日産「チェリー」(神奈川県座間市の日産ヘリテージコレクションで編集部撮影)

エンジンの置き方も、今と昔では事情が異なる。現在は大部分の前輪駆動車が採用する横置きエンジンは、左右のドライブシャフトの長さが異なることから、アクセルを踏むとハンドルが左右に取られてしまうことがあった。これを嫌って当時の前輪駆動車には、エンジンを縦置きとしたクルマも多かった。

クルマを横から見たときのプロポーションは、エンジンがどの位置に、どの向きで置かれるかで大きく変わってくる。昔のクルマはこのエンジンの積み方が、同じクラスでも千差万別だった。スタイリングに多様性があったのは当然だ。

  • トヨタ「スポーツ800」(「第10回 Nostalgic 2days」で編集部撮影)

制約の少なさが自由なカタチを生んだ

しかも安全対策や環境対策は、今ほど進化していなかった。

交通事故による死者が増えたことを受け、国や地域ごとに衝突安全の基準が定まるとともに、「JNCAP」(自動車事故対策機構が行う自動車の安全性評価)など、公的機関もクルマの安全性に関するテストを実施するようになったのが、この間の経緯だ。こうしたテストで良い成績を収める車種が登場すると、他社は構造や技術を参考にして、同様の特徴を備えた車両を開発するようになる。こうして、カタチが似たクルマが増えていった。

環境対策でデザインに影響を与える要素として挙げられるのが空力だ。こちらは、「Cd値」(空気抵抗係数)という数字で優劣が表される。空力性能は高速走行時の安定性向上にも寄与するが、近年は走行抵抗低減による燃費・環境性能向上にも注目が集まる。あるクルマが優れた空力を実現すると、似たようなフォルムの車種が出てくるのは安全対策と同じ流れ。これは、F1などレースの世界にもいえることだ。

  • ジャガー「Eタイプ」(「第10回 Nostalgic 2days」で編集部撮影)。電気自動車「E-TYPE ZERO」として復活することが先頃、決定した

裏を返せば、こうした対策が重視されていなかった1970年代初めまでは、メーカーが作りたいカタチをストレートに作りやすかった。もちろん、安全性能や環境性能は高いほうが望ましいけれど、それによって失われたものもあるわけだ。

こうした対策は、車体の大型化をもたらした。1970年代初めは、ほとんどの日本車が全幅1.7m未満、つまり5ナンバー幅に収まっていたが、今は全幅1.8m以上のクルマが多い。1度のモデルチェンジで一気に大型化したわけではないが、徐々に成長していったのだ。しかも、室内空間はモデルチェンジごとに大きくすることが求められたので、クルマの大型化はそれを実践した結果でもあった。

  • スバル「レオーネ」(「第10回 Nostalgic 2days」で編集部撮影)

さらに、自動車業界の競争が激しくなり、さまざまな国や地域に合わせたクルマを作る必要性が高まったことも、カーデザインが似てきたという声が多くなっている理由のひとつだと思っている。

昔は多くの日本車が、日本市場だけを相手にしていた。欧州のデザイナーを起用したり、同じ時代の米国車を思わせるスタイリングを導入したりしていたが、その目的は輸出ではなく、我が国のユーザーに対し、欧米の最新トレンドのカーデザインを提供することだったのだ。

  • ランボルギーニ「カウンタック」(2017年の「AUTOMOBILE COUNCIL」で編集部撮影)

文化が育んだ“ケンメリ”の人気

日産自動車を例にとると、1960年代の「ブルーバード」や「セドリック」はイタリアの名門デザインスタジオ「ピニンファリーナ」が手掛けていたが、1970年代になると一転して、「スカイライン」や「バイオレット」などに、当時の米国車を思わせるフォルムを採用した。

テレビCMに「ケン」と「メリー」という男女が出演していたことから、“ケンメリ”という愛称で親しまれた当時のスカイラインについて、一部の自動車雑誌は装飾過多で後方視界が悪いなどと酷評していた。走りの面でも、排出ガス規制が始まったばかりだったので、レースで活躍した「GT-R」がすぐに生産中止となるなど、性能は期待できなかった。

  • “ケンメリ”こと日産の4代目スカイライン「C110型」(日産ヘリテージコレクションで編集部撮影)

しかし、歴代スカイラインで最も販売台数を稼いだのはこのケンメリである。高度経済成長時代を過ごした若者のハートを、デザインとプロモーションで掴んだ結果だった。伝統的な自動車評価を超えたところで人気を博したのだ。

  • 歴代スカイラインで最も売れたのがこの“ケンメリ”だ(日産ヘリテージコレクションで編集部撮影)

現在、5ナンバーの枠内で、このようにカッコ重視のスタイリングを実現するのは難しいだろう。だからこそ、個性あふれる1台として今も評価することができるし、デザインを通じて、ケンとメリーのCMが流れていた頃を思い出したりもできる。当時の世相も反映したデザインであるからこそ、いまなお評価されているのかもしれない。

  • 現代のクルマには、いろんな意味で真似できない個性あふれるデザインだ(日産ヘリテージコレクションで編集部撮影)

万人に好まれるのは、現在のスカイラインなのだろう。しかし、日本文化を反映したクルマという点では、ヒストリックモデルに軍配が上がりそうだ。

ちなみに、10代目「R34型」までは事実上、日本専用車として国内市場で存在感を示してきたスカイラインだが、日産がルノーとアライアンスを組んで以降、国外では日産の上級ブランド「インフィニティ」で販売されるようになった。

  • スカイラインは今や、グローバルカーへの転身をとげた(画像は“ケンメリ”、日産ヘリテージコレクションで編集部撮影)

カーデザイン史として考えれば、年を経るにつれて設計に盛り込むべき要件が増え、内容が複雑になっていったことが分かる。デザインにおける自由度が少しずつ狭まっていったことは否めないだろう。逆にいえば、ヒストリックカーのデザインは、作り手の思いがストレートにカタチに現れていた。だからこそ、多くのクルマ好きの心を掴んでいるのではないかと考えている。