自動車の電動化や自動化が進もうとしている中で、それとは対極にある旧いクルマ、いわゆる「ヒストリックカー」に注目が集まっており、イベントも増えている。クルマのデザイン史を振り返る意味でも貴重な機会なので、こういったイベントが充実してきたのは好ましい流れだ。今回は、これらのイベントの中から、8月に行われた「AUTOMOBILE COUNCIL 2018」(オートモビル カウンシル 2018)を取り上げつつ、日本のヒストリックカーシーンの今を考えてみたい。
自動車を文化として認識する欧米、日本の現状は?
新車と同じように、ヒストリックカーの世界にもイベントがある。大きく分けてアウトドア系とインドア系があり、アウトドア系は展示がメインのものと、サーキットや公道の走行がメインのイベントがある。
例えばイタリアには、いずれも第2次世界大戦前からの伝統を持つ公道走行イベントの「ミッレミリア」と、展示をメインとする「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」がある。米国では毎年8月、カリフォルニア州において、ラグナ・セカ・サーキットを使った「モンテレー・モータースポーツ・リユニオン」と、ゴルフ場を会場とする「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」が開かれる。
コンクール・デレガンスとは「美の審査会」という意味のフランス語で、イタリア語ではコンコルソ・デレガンツァになる。車両のデザインやヒストリーだけでなく、現在のコンディションやオリジナリティまで厳しくジャッジされるのが特徴だ。ちなみに、今年の「ぺブルビーチ・コンクール・デレガンス」では、アルファロメオの「8C 2900B」というクルマが最優秀賞に輝いた。
一方、インドア系ヒストリックカー・イベントで有名なのは、毎年冬にフランスで行われる「レトロモビル」だろう。会場はパリのモーターショーと同じで、自動車メーカーや専門ショップ、オーナーズクラブによる車両展示のほか、オークションも実施され、実車だけでなく部品や書籍、ミニカー、絵画などを販売するコーナーもある。
筆者も、このレトロモビルを何度か訪ねたことがある。日本では見ることができないヒストリックカーやその部品、あふれんばかりのミニカーなどが所狭しと並んでいて、自動車を文化として捉えていることを思い知らされた。
ちなみに、旧いクルマを指す言葉としては、ヒストリックカー以外に「クラシックカー」「ヴィンテージカー」「ヘリテージカー」などの言葉もあり、日本語で旧車と呼ぶことも多い。
このうち、全体を総称するのがクラシックカーで、第2次大戦前に生まれたものをヴィンテージカー、戦後1970年代ぐらいまでに作られたものをヒストリックカーと呼び分けることもある。筆者はヒストリックカーを使うことにする。ちなみに、1980年代以降に登場した価値あるクルマについては、「ネオヒストリック」「ネオクラシック」という言葉を使うこともある。
テーマは「クラシック・ミーツ・モダン」
欧米に比べると日本は、ヒストリックカーの文化が根付いていないといわれる。20世紀初めからクルマとの生活を始めていた欧米と、1960年代になってそのような時代が訪れた日本とで、時間差が生じるのは仕方がないだろう。
それでも、日本クラシックカー協会は1970年代から東京都内で「ニューイヤーミーティング」を続けているし、富士スピードウェイや筑波サーキットといったサーキットでレースイベントを行ったりもしている。さらに最近になって、インドア系、アウトドア系を問わずイベントがかなり増えてきた。
中でも、今年で3回目と歴史は浅いものの、高い評価を受けているイベントがある。千葉県の幕張メッセで毎年8月に行われる「AUTOMOBILE COUNCIL」だ。「クラシック・ミーツ・モダン」をコンセプトに掲げ、自動車メーカー、外国車のインポーター、専門ショップ、オーナーズクラブなどが、さまざまな出展を行う。今年は3日間で3万人を超える来場者が詰め掛けた。
メーカーとインポーターでは、スバル、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、マツダ、アストンマーティンが参加した。この中でまず目を惹いたのがマツダだ。
マツダはクルマのみならず、ディーラーからモーターショーの展示に至るまで独自のデザインポリシーを貫いており、多くのクルマ好きから支持を受けている。その精神がAUTOMOBILE COUNCILにも反映されていた。
さらに、今年の展示では「コンパクトハッチバック」をテーマとし、1980年代に一世を風靡した赤いボディの5代目「ファミリア」と、筆者も以前、記事で紹介した「マツダ 魁 CONCEPT」(マツダ カイ コンセプト、2017年の東京モーターショーに初出展)が並んで展示されていた。
おそらくマツダは、ファミリアから現在の「アクセラ」、そして次期アクセラのプロトタイプと噂される「魁 CONCEPT」に至る結びつきをアピールしたかったのだろう。まさにクラシック・ミーツ・モダンである。
自動車を作って売ることが本業とされてきたメーカーにとって、販売が終わったヒストリックカーは収益面でうまみの少ない存在かもしれない。しかし、ブランドとして考えれば、長く輝かしい歴史を多くの人に伝えることは大切だ。その点で、ヒストリックカーを見せることはメーカーにとっても価値あることと私は考えている。
メーカーの垣根を越えた展示も
興味深かったのはトヨタのブースだ。こちらは「元気!!ニッポン1960s!」をテーマとして、レーシングカーの「トヨタ7」、速度記録に挑戦したスポーツカー「2000GT」などをディスプレイしていたのだが、その中になぜか日産の「セドリック」も置かれていた。
トヨタはイベントの直前に「クラウン」をモデルチェンジして発売したばかり。なのに、長年ライバル関係にあったセドリックを持ってきたのはどうしてか。前回の東京オリンピックで聖火を輸送したセドリックの起用に、時節柄を踏まえた判断があることは間違いないのだが、こういった展示からは、日本の自動車文化をメーカーごとに分けず、一体のものとして捉えようとするトヨタの思いも伝わってくる。
これ以外では、筆者も日本上陸の模様をお伝えしたフランスのスポーツカー、アルピーヌ「A110」が新旧そろい踏みで主催者展示された。A110の一般公開は、日本ではこの会場が初めてということで注目を集めていた。40年の時を経ても変わらぬ精神を多くの参加者が感じたことだろう。
ロールス・ロイスとベントレーの展示・販売・整備を行う埼玉県のワクイミュージアムが展示した「ラ・サルト」の存在感も印象的だった。
ル・マン24時間レースが行われるサーキット「サルト」の名を冠するこのクルマは、「もし1950年代のベントレーがスポーツカーを作っていたら?」というコンセプトで、同時代のベントレーのセダンをベースとし、英国の専門ショップが24台限定で生産したもの。大人の遊びという表現がふさわしいこのラ・サルトの日本初公開に、AUTOMOBILE COUNCILがもっとも相応しい会場だったという声が多くの関係者から聞かれたし、筆者もそう思った。
とにかく、AUTOMOBILE COUNCILの会場は大人っぽい。コンパニオンはおらず、派手な照明や賑やかな音楽もない。落ち着いた雰囲気の中で名車をゆったり堪能することができる。美術館を思わせる場だったのである。
この面では、似たようなコンセプトのレトロモビルより上ではないかと思ったほどだ。日本のヒストリックカー文化が少しずつ大人に成長しつつあることを、このイベントを通して実感した。