コラムニストの小林久乃が、ドラマや映画などで活躍する俳優たちについて考えていく、連載企画『バイプレイヤーの泉』。
第145回はタレントの森香澄さんについて。今年も彼女の周りはザワザワとうごめいていた。なぜ動向に気づいたのかといえば、森さんが私の大好物のテレビドラマへの露出が増えたせいだ。
深夜ドラマへの出演が多いものの、主演作が2作もある。12月13日(金)放送の『栞ちゃん 心の声を聞かせてよ』(テレビ朝日系)も漏れなく主演だ。その他『伝説の頭 翔』(テレビ朝日系)でのスケ番姿や、歌声や振り付けの披露など、インパクトのある役が多かった。
「PEACH JOHN」の冬コレクションではランジェリー姿を見せたかと思えば、冠番組も放送、ラジオでも楽しげなトークを聴かせる。配信番組で見る姿が多いことも、令和のスターだなあと思う。物価高、不景気だと騒がれているにも関わらず、強欲に、景気良く働いている森さん。ちなみに誤解がないように書いておくと、森香澄さんのことは大好きだ。
素直で常に前進することの何が悪いのか?
なぜ好きなのかといえば、まず素直だから。
『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演時。彼女は「外見にコンプレックスがあります」と発言。女性からは揶揄がぶっ飛んできたらしいが、素直に自分の悩みを吐露するのは、けして悪くない。同じクラスの同級生が、同じような悩みを打ち明けたら背中を押すのに、"アナウンサー"というレッテルは厳しい評価だ。その後、森さんは自身のSNSで必死のダイエット方法を公開して、バズった。やっぱり努力していたのだ。
あとは自分のキャリアにこだわらず、次々に新しいことへチャレンジしていること。
局アナ出身のフリーアナウンサーといえば、(ジャンルは違うけれど自戒を込めて)とんでもない群雄割拠の時代で、側から見ていると仕事の取り合いになっているようにしか見えず。それも司会者やキャスター。バラエティ番組の雛壇、ゲスト、講演会など、それぞれのキャラクターを活かして、キャリアを積み上げていく仕事をしている。
……はて?
そんなことではもったいないといつも思う。容姿端麗で成績優秀という、ふつうの女性がなかなか持てない武器を手にしているのに、なぜそれらを活かさないのか。いつまでもシュガーコートされた自分では、いつか飽きてしまうのに。
ただ森さんは"アナウンサー"が取り組みそうな仕事には目もくれず、写真集を出したり、女優業に精を出したりと常に新しいことに手を出している。最終的にどんなメルクマールが彼女にあるのかは分からないけれど、見ていて楽しい。
かつては田中みな実さんも、彼女と同じような立ち位置であった。でも田中さんはどこまでも自分を貫いて、女優業に邁進している。遥か昔は故・野際陽子さんもNHKアナウンサー出身で、女優として開花した。偉業はそれだけではなく、当時は珍しかった海外留学後に、ミニスカートを日本に持ち込んだ人物であったことも知られている。つまり二人とも開拓者。森さんの力強さが同じように開花してほしいと思う。
新しい"あざとさ"へ
チャレンジイズムに加える形になるが、SNSなど世間で何を言われても知らぬが存ぜぬという雰囲気もいい。
真相はご本人でなければ分からないこと。ひょっとしたらエゴサーチの鬼で、世間の揶揄をエネルギーに変えているかもしれない。実際、そういう著名人を何人か知っている。もしくは本当に気にならないか、気にしないふりをしているのか。ちなみに私にはエネルギー変換に見える。
写真集の発売時、SNSで発信した「28歳という、まだ未熟だけど、子供ではない」というコメントに炎上していた。けしてネガティブキャンペーンではない。揚げ足取りにもほどがあると笑ってしまったけれど、あれは森香澄だからこそ燃えた事例だ。
なぜ注目を浴びるのかと言えば、前述の田中みな実さんから続く"あざとい"というイメージが森さんにはある。"あざとい"の意味をウエブ辞書で調べると「自分を最大限に可愛く見せる方法を熟知しているかのような自己演出的な可愛さ・可憐さ」と出てくる。ほほう。つまり可愛い子が自分の容姿を利用して、異性や世間に媚びていると言いたいらしい。
私は"あざとい"の意味は、とっくに進化していて褒め言葉であると捉えている。スポーツ新聞やネットニュースを見ていると、いまだに媚びた意味で使われているけれど、女性を嘲笑する意味も含まれているので腹立たしさもある。
自分を知って、個性を磨いて、前に出ていこうとする。この力がないと、デリケートかつ辛辣な令和のこの世は、なかなか前に進めない。立ち止まったままになってしまう。この理論でいくと、森さんの前進していく背中は女性が見習ったら何かいいことがありそうな力を秘めていそうな気がする。その力が"あざとさ"。だから彼女のことが好きなのですよ。