コミュニケーションは、相手との関係性により変化します。初めは互いにあらたまった態度でも、関係性が深まるにつれて接し方に親しみが込められたり、話し方や言葉遣いがやわらかくなったり。互いに心地よい距離感を保つことで、会話がテンポよく進むこともありますよね。
ビジネスメールもコミュニケーション手段の一つ。相手との関係性に合わせた言葉遣いが、円滑なコミュニケーションをもたらします。常にかしこまった表現ばかりでは、相手と必要以上に距離を感じてしまったり、時には嫌味に受け止められたりすることも。だからといって、あまりに砕けた言葉遣いでは失礼な人だと思われてしまうかもしれません。親しみを込めたつもりが、円滑なコミュニケーションの妨げになったのでは完全に逆効果。メールの言葉はどこまで崩しても問題がないのか。多くの人が悩む、メールの言葉遣いについて考えてみましょう。
メールは会社の代表として書いている
メールは、原則として会社のものです。たとえ個人ごとにメールアドレスが割り当てられていたとしても、決して個人のものではありません。会社から支給されているパソコンや携帯電話と一緒ですね。これは大前提として押さえておくべき。メールは会社の代表として書いています。会社の看板を背負って書いているといっても過言ではありません。その責任を思えば、あまりに言葉を崩しすぎるのは考えものです。
仕事上で知り合った人とSNSでつながる機会もあると思います。SNSでは、家族や友人との思い出、あるいは趣味に関する出来事など、プライベートな情報を共有するケースも。相手との親交が深くなれば、友だち口調のような砕けた表現で言葉を交わすこともあるかもしれません。しかし、SNS上の砕けた言葉遣いをそのままビジネスメールに持ち込むのは避けたほうがよいでしょう。個人的なつながりであるSNSと違って、メールは会社の所有物。自身の異動や退職によって、メールを引き継ぐ日が来ないとも限りません。一対一で送ったつもりのメールも、相手の社内で共有される可能性は十分に考えられます。ビジネスメールは個人ではなく、会社の代表として書いていると心得ましょう。
言葉を崩す目的とは
では、メールの言葉はどこまで崩しても問題がないのか。悩んだときには、その目的に立ち返るのが一番。メールの言葉を崩す目的は、コミュニケーションを円滑にすることです。円滑なコミュニケーションの実現には、内容が正しく伝わるだけではなく、相手を不快にさせないことが大切。どれほど魅力的で分かりやすい提案だったとしても、失礼な言葉で伝えられたのでは受け入れがたい気持ちにもなりますよね。メールで言葉を崩しても問題がないのは、相手を不快にさせないレベル。当たり前のようですが、その見極めができないことが悩みを深くしているようです。
想像してみてください。取引先の相手と懇意になったことで「お世話になっております」という挨拶の言葉を「お疲れさまです」や「こんにちは!」と崩してみたらどうか。親しみを感じるという人もいるでしょうが、「なれなれしい」「非常識だ」と捉える人もいるかもしれませんよね。言葉に対する感じ方は人それぞれ。相手がどう捉えるのか判断がつかないのであれば、そのような言葉遣いは避けましょう。親近感が湧く言葉遣いに意識を向けすぎると、本来の目的である円滑なコミュニケーションに支障をきたすことも考えられるのです。
文書ではなく会話に近いイメージを
ビジネスメールのように書いて伝えるという点では、ビジネス文書も共通しています。ビジネス文書には特有の形式や言い回しが存在することから、それが文章に対する苦手意識や言葉遣いの悩みにつながっているのかもしれませんね。ところが、実際は多くの人が自然と相手との関係性に合わせた言葉遣いをしているはずなのです。
対面や電話による仕事上のコミュニケーションを思い起こしてみてください。どこまで言葉を崩そうかと悩み、言葉を詰まらせた機会がどれほどあるでしょうか。一つ一つの言葉を慎重に選びながら話す場面など、そうはないはず。親しい間柄であっても「です・ます調」を基本に、丁寧語でやりとりをする機会がほとんどではないでしょうか。丁寧語で統一された文章はやわらかい印象を与えます。必要以上に距離を感じることもなく、失礼にもあたりません。言葉を崩すというのは、ビジネス文書のようなあらたまった表現ではなく、会話に近いやりとりをすることと考えれば分かりやすいと思います。
ビジネスメールは書いて伝える手段だからといって、それほど構える必要はありません。「言葉遣いに悩み、メールを書く手が止まる」ということがあれば、ぜひ相手との会話をイメージしてみてください。自然と程よい言葉遣いが頭に浮かぶはずです。