悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「アイデアを出すコツ」を知りたい人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「アイデアを出すコツを知りたい」(30歳男性/企画関連)


職種が企画関連とのことですので、アイデアを出すために日々頭を悩ませていらっしゃるのでしょうね。もしかしたら、「いいアイデアを出してくれ」という上司からの圧もプレッシャーになっているかもしれません。

しかし困ったことに、自分を追い込めば追い込むほど余裕が失われ、「これだ!」というアイデアが浮かんでこなくなってしまったりするもの。絵に描いたような悪循環ですから、なんとか逃れたいものですね。

「無から有を生み出すイノベーション力」とは?

『「0から1」の発想術』(大前研一 著、小学館)の著者が創設して学長を務めているオンライン教育の『ビジネス・ブレークスルー(BBT)大学大学院』では、現在進行形で起きているビジネスや経済の動きをベースに、「もし、私が○○の社長だったら……」と考える「RTOCS」(Real Time Online Case Study)というケース・スタディを行っているのだそうです。

  • 『「0から1」の発想術』(大前研一 著、小学館)

これは、イノベーション力を磨くためのひとつの方策なのだとか。

ただし、リアルタイムのケース・スタディは、決して「解」を見つけることが目的ではない。自分自身で情報を収集し、取捨選択し、分析し、事実に基づいた考察を重ねて「自分なりの結論を導き出す」能力を磨くことが重要なのであり、それを何度も繰り返すことによって発想力・問題解決力がついてくるのである。(「はじめに」より)

まず大切なのは、アイデアを思いつきで口にするのではなく、基礎データを自分自身で時間をかけて集め、類似例を分析して現状を把握すること。いわばスタートラインの段階です。

次にすべきは、事実を積み上げて論理を構成すること。そしてさらに、その論理から自分の想像力を駆使して発想を飛躍させることだといいます。

こうしたトレーニングを何度も繰り返していれば、自分に役割が回ってきたときに、無理なく問題解決とイノベーションの発想が出てくるというわけです。

そこで本書ではそうしたコンセプトを軸として、「無から有を生み出すイノベーション力」を身につけるための考え方を紹介しているのです。

そのひとつが、「ニュー・コンビネーション」。ポイントは、次の2つだそう。

既存の2つのものを足してみる。
足したことで、価格と価値がいかに変化するか。
(74ページより)

つまりは別々のものを組み合わせることによって、新たな価値を提案するという発想。たとえば、バスと船を組み合わせたら水陸両用バスになりますが、それがまさに「ニュー・コンビネーション」。

ただし「ニュー・コンビネーション」は、足せばそれでOKというものでもないようです。機能をプラスすることばかりに注力して、ユーザーが必要としていないものを提供しても意味がないからです。

むしろ「ニュー・コンビネーション」は、「○○と○○を足したらどうなるだろう?」という発想の転換としてとらえてもらいたい。アイデアに行き詰まっている時は、往々にしてそれまでの延長線上で物事を考えている。そこに別のものをコンビネーションすることで、頭に刺激を与えるのだ。既存のものを足せばよいのだから、発想は"無限大"である。しかし、その一方で、不要なものを削るという作業も併せて行う必要がある。(74ページより)

たしかにそのとおりで、しかもそれはさまざまな事柄に応用できそうでもあります。アイデアに行き詰まったら、目の前に見えているものを改めて確認しなおし、「これとこれをたしたとしたら、はたしてどうなるだろう?」と考えてみてはいかがでしょうか?

最初のうちはその行為自体に違和感があるかもしれませんが、慣れてしまえばアイデアを生み出す際の武器になるはずですから。

子どものように素朴な疑問を持つ

日常生活は想定外の問題の発生と解決の繰り返しです。また、テレビや新聞の報道、ウェブサイトなどである事柄が述べられていたときに、それをそのまま鵜呑みにするか、「これは本当なのか」と考えて接するかどうかも、さまざまな情報の溢れる現代においては重要なことです。(「はじめに」より)

『卵が飛ぶまで考える: 物理学者が教える発想と思考の極意』(下村 裕 著、日本経済新聞出版社)の著者は、このように述べています。

  • 『卵が飛ぶまで考える: 物理学者が教える発想と思考の極意』(下村 裕 著、日本経済新聞出版社)

そうした諸問題や情報に対して、「どうすればいいのだろう」「なぜだろう」と考える際、ただやみくもの思いつきで対処するのではなく、考え方の「作法」に従って考えていくようにすれば、問題が解決しやすくなるというのです。

そして当然ながら、そんな対処法は新たなアイデアの創生にもつながっていくのではないでしょうか?

また、子どものように素朴な疑問を持つことも大切だと著者はいいます。なるほど子どものころは、誰でも身の回りのいろいろなことに絶えず疑問を持っていたはず。

たとえば、なぜ空は青いの? 雲は食べられるの? 虹はなぜできるの? 夕焼けはどうして赤いの? 夜はなぜ暗いの? どうして葉っぱは緑色なの? 朝顔の花はなぜ朝開くの? どうしてオタマジャクシからカエルになるの? コンペイトウにはなぜ角があるの? などなど、挙げればいくらでも出てきます。

実は、これらの問いに答えることは簡単ではなく、科学の知識がないと正確には説明できません。例えば「夜空はなぜ暗いか」というのは、宇宙論で「オルバースのパラドックス(逆説)」と呼ばれる有名な難しい問題です。宇宙には恒星がたくさんあるので、たとえ夜でも明るいはずなのに、実際は暗いですね。夜空が明るいためには、宇宙に恒星が一様に十分多く分布しているという前提がなければいけません。そういった前提が現在の宇宙では成り立っていないために生じるパラドックスなのです。こういう、子どもが抱くような疑問を真正面から真剣に考えることが、大きな発見につながるばあいもあります。(75ページより)

この文章はやや専門的ではありますが、とはいえ純粋な疑問を抱くことは大人になってもあるものです。多くの場合、それはどうでもいいことのように追いやられてしまいがちですが、本当に大切なのは「考えてみる」ことであるはず。

どれだけ小さな、取るに足らない疑問であったとしても、「くだらない」と簡単に片づけず、大切に考えていくことが大切だということです。そうすれば、それはきっと問題やアイデアの発見につながっていくはずなのです。

知識を拠り所にしない「自由思考」を

ところで、アイデアを生み出すためには考えなければなりません。考えることを避けていたのでは、なにも進まないわけです。しかし、そもそも「考える」とはどういうことなのでしょうか?

このことに関連して興味深いのは、『考えるとはどういうことか』(外山滋比古 著、集英社インターナショナル)の著者の体験です。小中学生の作文を読む仕事をしたとき、感じたことがあったというのです。

  • 『考えるとはどういうことか』(外山滋比古 著、集英社インターナショナル)

一般的に、小学1、2年生の児童の書く文章は、のびのび、自由に思ったことを書いているものが多く、読んでいて気持ちがいいものです。ところが、高学年になると文字を並べたような文章が多くなり、かつてあった勢いが失われていきます。さらに中学生になると、いっそう退屈な作文が多くなったりもします。

なぜ、このようなことになってしまうのでしょうか? そのことについてくり返し考えた結果、著者は仮説めいたものにたどりついたのだそうです。

それは、知識と自由な思考とは両立しにくい。それどころか、対立して互いを圧迫するのではないか、さらに、知識と思考との間には反比例の関係が成り立つかもしれないというものです。知識がふえればふえるほど思考は弱体化し、知識の乏しいものは、思考力をつよく発揮できる。そういえるかもしれないと考えました。(「まえがき」より)

たいていの人間は、年齢とともに知識の量を増やし、そのぶん思考の発動を抑止するのかもしれないということ。そのため、増えすぎた知識を捨てる必要が生じてくるわけです。もちろんそれは簡単なことではないでしょうが、とにかく頭をすっきり、働きやすいようにすることが大切であることは間違いなさそうです。

情報化時代などといって過剰な知識を頭に詰め込めば、頭は困惑します。睡眠では十分に不要な情報を始末できなくて、持ち越すことになり、それが、いずれは知的不活発、思考停止の状態になりかねません。現代のわれわれは大なり小なりこの危険にさらされていることになるように思われます。よく忘れ、よく考えるのが、これからの頭です。
余計なもののない、整理された頭を自由に働かせるのが、思考です。(「まえがき」より)

ひとくちに思考といっても、「なにかについて考える」「○○を考える」といった場合の思考は「目的思考」というべきもの。それに対して、課題や問題にしばられず、自由に頭を働かせるのが「自由思考」で、それはときに発明や発見につながることがあるといいます。

子どもの発想はしばしば天才的だといわれますが、それは子どもの頭が知識でいっぱいになっておらず、自由思考に適しているからでしょう。そして大人に当てはめてみた場合、その自由思考はアイデアの創出に大きな好影響を与えてくれそうでもあります。

だからこそ、知識を拠り所にすることをやめ、あえて自由に発想してみるべきなのではないでしょうか? そうすれば、子どものような純粋さを仕事に活用できるようになるかもしれません。