悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、自己中心的な人との付き合い方に悩む人へのビジネス書です。
■今回のお悩み
「自分のことしか考えない人が増えたので、仕事がやりにくい。これは近所付き合いにも言えること」(69歳男性/その他・専業主婦等)
今回は、同様のご相談を複数人からいただいています。つまりはそれだけ、「自分のことしか考えていない」と感じさせる"自己中心的な人"が増えたということなのかもしれません。
もし、そういう人が原因で人間関係がギスギスしたりするのであれば、あまり気持ちのいいものではありませんよね。なんとかしたいと感じるのも当然のことだと思います。
ただし冷静になってみると、「そういう人は昔からいた」ということにも気づくことができるはず。そう考えると、必ずしも時代や社会状況の影響だとはいい切れないわけです。
いつの時代にも、どんな環境下にもそういう人はいて、ことあるごとに周囲の人を困らせてきたのです。だとしたら、彼らのことは"どこにでもいる困った人"程度に考え、「仕方がないなあ」と流してしまったほうが精神的な負担は軽くなるような気もします。
そうでないと、自分だけが嫌な気持ちになってしまうということも考えられますからね。その結果、仕事や自分のやりたいことに集中できなくなったのだとしたら、それはもったいない話です。
イライラの理由は自分の中にある
イライラは、その人から集中力を奪っていきます。
イライラは、その人から仕事への意欲を奪い去っていきます。
そして、仕事の実績が思うように伸びなくなり、職場での存在感も発揮できなくなることもあります。
そうなると、さらにイライラが募っていき、ちょっとしたことで感情が爆発してしまうことになりかねません。(中略)
そしてだんだん仕事へのモチベーションが低下し、自信を失っていき、心まですさんでいきます。(「まえがき」より)
『職場のイライラをすっきりなくす本』(植西 聰 著、ウェッジ)の著者も、このように指摘しています。だからこそ、「ちょっとしたことでイライラしがちだ」と自覚症状が出たときには、できるだけ早く対策を講じるのが賢明なのだと。
本書のなかで著者は、他人に対して欲求水準が高い人が、ともするとイライラしがちだと主張しています。「欲求水準」とは心理学用語で、わかりやすくいえば「求める水準」のこと。
ある男性を思い描いてみてください。
彼は、「A君はまわりの人に迷惑をかねないように、もっと迅速に仕事をするべきだ」というように、同僚や取引先に対していつもイライラしています。しかし実際には、Aさんはしっかり仕事をしているのです。
なのに彼がそのような心境になってしまうのは、他人への欲求水準が高すぎるから。他人の言動を目の当たりにした結果、自分が信じている「こうあるべき」という常識や価値観が裏切られたと感じてしまうわけです。
でも、そんなイライラした感情を抱えたまま接していたのであれば、相手との信頼関係が壊れていくのも当然です。
イライラとはつまり、自分が相手に期待していることの表れです。
イライラを解消するには、まず、自分が相手にどう望んでいるのかを認識することです。そして「〜べきだ」と決めつける考え方から、自分の中で「〜だといいなあ」と許容できる部分を見つけるという考え方に変えていくのです。(43ページより)
つまり大切なのは、"イライラの理由は、外にあるのではなく自分のなかにある"と知ること。そう考えることができれば、ある程度は寛容さを維持できるようになるのではないでしょうか?
自分をおろそかにする「他者中心」の意識
「相手の言動が気になってしかたがありません」
「相手のことが頭から離れません。傷つけられたことを思い出すたびに、腹が立ってきます」
「相手のことを考えるのは、もうやめようと自分に言い聞かせるけれども、よけい相手のことが気になってしまいます」
「悔しくて、絶えず相手のことを考えて、どうやって仕返ししてやろうか、そんなことばかり考えてしまって、最近、不眠状態に陥ってしまっています。(22ページより)
相手に嫌な思いをさせられると、このように相手のことをあれこれ考え、悩んでしまうもの。
『やっかいな人から賢く自分を守る技術』(石原加受子 著、知的生きかた文庫)の著者は、そんな状態を"「他者中心」の意識"と呼んでいるのだそうです。
こういった「他者中心」の意識で他者にとらわれているときには、自分のことがおろそかになってしまっているはず。頭のなかが他人のことでいっぱいになっていれば、"自分自身"が入る余地がなくなってしまうのは当たり前の話なのです。
しかも、そうやって相手にとらわれながら、相手のことを憎んだりして生きていたとしても、状況が好転することはありません。それどころか、とらわれていけばいくほど、相手のことがさらに気になり、自分が苦しくなっていくことでしょう。
著者が「自分中心」の考え方を勧めているのも、そんな理由があるから。
どちらに非があるかということを超えて、起こっている問題を「自分のこと」として捉える。(25ページより)
そんな「自分の気持ちを解放するために、自分を大事にするために、自分の心を救って、癒すために」という発想が「自分中心」の基本的な捉え方なのです。
これは一言でいうなら、自分に起こっていることを解決するとき、「自分を愛するために、問題を解決していこう。悩みを解消しよう」という姿勢です。
相手が悪いから、相手をやっつけてしまえ。戦って相手を打ち負かそう。そんな「他者中心」の発想ではありません。(26ページより)
「私が苦しいから、この苦しみから解放されるために自分のできることをしよう」
「私の心を傷つけたくないから、私の心を救うために動こう」
起こっていることに対して、このような発想から臨むのが「自分中心」だということ。たしかにそう捉えることができれば、必要以上のストレスを抱えずにすむかもしれません。
相手を責めることより自分を守ることのほうが大切
怒りは単なる怒りでなく相手に対する要求になることもあるだろう。(「はじめに」より)
『「自分の心」をしっかり守る方法』(加藤諦三 著、知的生きかた文庫)の著者はまずこう指摘し、次にこう述べています。
自分を受け入れる。敏感性性格を受け入れる。不幸を受け入れる。運命を受け入れる。それが「悟りを拓く」ことである。
自分がわかる。「そういうことだったのか」と自分の気持ちや態度が理解できる。
「私がなぜ不愉快な気持ちに悩まされたのか?」が理解できる。
悟りとは新しい価値に気がつくことである。アメリカの心理学者ロロ・メイのいう「意識領域の拡大」である。自分を知ることである。したがって悟りとは活発な精神的活動である。(「はじめに」より)
つまりは相手を責めることより、悔しさや悩み、モヤモヤした思いから自分の心を守ることのほうが大切だということ。そして、そのことを念頭に置いたうえで、著者の次のことばを意識してみるべきではないでしょうか?
私は勝者というのは楽観的な努力家だと思う。敗者というのは悲観的なくせにあまり努力しない人であると思う。「おとなしい」人というのは、なかなか勝者にはなれない。ここで勝者といっているのは、生きる喜びを実感できる人のことである。(68ページより)
もちろん、最終的には勝ち負けの問題ではないと思います。しかし、少なくとも相手を気にかけすぎてストレスと溜め込みながら日々を過ごすより、著者のいう"生きる喜び"を実感することに意識を注いだほうがずっといいはず。
そうすればやがて、鷹揚な気持ちで現実を受け入れることができるようになるかもしれません。