悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、上司の派遣と社員に対する扱いに不当さを感じて悩んでいる方へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「上司の派遣と社員の差別を感じます。私もチームの一員なのに……」(45歳女性/事務・企画・経営関連)

  • 派遣と社員の差別をする上司がいたら……


コロナ禍の影響でリモートワークが一般化しましたが、そんななか、知人の働き方が気にかかっていました。

20代半ばの彼は、ITの部類に属するであろう会社の正社員。クリエイターなので、業種的にはパソコンさえあればどこでも仕事できるはず。ところが、なぜか毎日出社しているというのです。不思議だったので、あるとき理由を聞いてみました。

「たしかに会社はリモートワークを推奨していますし、ほとんどの社員は家で仕事をしています。僕も作業的にはそれで問題ないんですけど、ただ、グループリーダーなので、派遣の人のことを見なきゃならないんですよ。会社は、派遣社員のリモートワークを認めてないんで」

つまり彼は、会社に出なくてはならない派遣の人たちの手助けをするために毎日出社しているというのです。

もちろん、そんな彼も大変だとは思います。でも、それ以上に衝撃的だったのは、「会社が派遣の人たちのリモートワークを認めていない」という事実でした。

新型コロナは命に関わる問題であり、そこから身を守らなければならないのは正社員も派遣社員も同じ。なのに派遣だという理由で出社を余儀なくされているのだとしたら、それは差別以外のなにものでもないのではないでしょうか?

ここ数ヶ月、そのことが頭から離れなかっただけに、今回のご相談にも強く共感できたのでした。チームの一員であり、手がけている仕事も同じ。なのに差別が生じているのだとしたら、それは明らかに日本社会の歪みです。

ただ個人的には、そんな世の中だからこそ、自分自身の「気持ち」を重視することがなにより大切なのではないかとも感じます。

社会に矛盾は多いですし、是正していくべき部分は是正すべきだと思います。それは絶対に必要なことですが、とはいえ実現までには時間がかかります。しかも当面は、その状況下で日々を過ごしていかなければなりません。

だとすれば、なによりもまず大切なのは、きょう、そしてあすのメンタル。状況が改善されるまでの間にも継続する日常の精神状態を良好に保つこと、それが優先されるべきだということです。そのためには、いま目の前にある状況を、悲観的にではなく、あえて冷静に俯瞰する必要があるように思います。

たとえば、ご相談にあるような差別をする上司は、どう考えても人間として問題があります。しかし残念ながら、そういう人がすぐに変わるとも思えません。いいかえればその上司は、「変わることすらできない人格」の持ち主でしかないのです。

だとすれば、そんな人のために悩み、自分の大切な時間を浪費するのはもったいない。だからこそ、その人よりも客観的かつ冷静な視点を持ち、精神的に余裕を持とうと意識することが大切なのではないでしょうか?

こういう人だと割り切ることも大切

非正規社員と比べて待遇がよいと言われる正社員ですが、多くの正社員の労働環境は非常に悪化しています。しかし今でも、正社員になりたいという人が多く、正社員が理想の就業形態と考えている人が多いのが現実です。そして、当の正社員たちは、その正社員という身分を守るために、劣悪な労働環境に必死にしがみついている状況があります。(127ページより)

『下流予備軍』(森井じゅん 著、イースト新書)にも、こう書かれています。たしかにそのとおりですが、つまりは派遣と社員を差別するその上司も、こうした状況下にいるのかもしれません。

  • 『下流予備軍』(森井じゅん 著、イースト新書)

しかも正社員にとっての命綱である企業には、もはや終身雇用によって社員の生涯を保証していくような能力はありません。本来であれば、終身雇用という対価のために時間・場所・自由意志を引き換えに差し出すのが正社員。ところが現実的に、「終身雇用という対価」は有名無実な者になっているということです。

したがって、その上司自身が精神的余裕を失っているという可能性は大いにあるはず。いってみればそのはけ口が、会社内における弱者である派遣社員に「差別」という形で向けられているということなのではないかと思います。

もちろん、差別される側からすれば、たまったものではありません。でも、そんな人のために苦しい思いをする必要はないのです。そこで、「かわいそうな人なんだ」と受け止め、でも、脇に流して受け入れず、あるがままの日常を淡々と過ごすことを考えるべきではないかと思います。

慣れるまでは難しいかもしれませんが、仕事を(上司の差別といういびつなオマケがついてくる)仕事と割り切り、作業そのもののなかにやりがいを見つけたり、あるいは仕事を離れた時間に価値を見出すなど、視点を変えるべきだと思うのです。

なにより大切なのは、自分の人生を有意義に生きることなのですから。

がまんすることは無駄ではない

『「折れない心」をつくる言葉』(植西聰 著、青春新書プレイブックス)の著者も、同じような考え方を持っています。生きていると心が折れそうになることがあるけれども、そう心配する必要はないのだと。

むずかしいことは一つもありません。自分自身に対する意識をちょっと変えてみるだけでいいのです。人間関係、仕事といったものを、少しだけ違った角度から見られるようにするだけでいいのです。そうすれば、つらく苦しい状況からすっと抜け出せます。(「まえがき」より)

  • 『「折れない心」をつくる言葉』(植西聰 著、青春新書プレイブックス)

本書の冒頭には、「私としては精一杯がんばっているのに、『だから、あなたはダメなのよ』と非難ばかりされている」という女性の話が出てきます。気持ちが滅入ってきて、「これ以上、がんばれない」と意欲を失いそうになってしまうのだと。

まわりにいる人たちが誰かからほめられている姿を見ると、「どうして私ばかり非難されるにだろう」とますます落ち込んでいくというのです。細かな状況は異なるでしょうが、ご相談者さんの苦悩にも共通する部分があるのではないでしょうか?

しかし、一生非難ばかりされている人などいないもの。自分のことを認め、高く評価してくれる人が必ずいるということです。だからこそ、そういう人との出会いに期待し、いまはがまんすることも無駄ではないという考え方。

ただ非難ばかりされている人はいない。
ただほめられてばかりいる人もいない。
『法句経』より
(10ページより)

ここでは仏教の創始者であるブッダのことばが紹介されていますが、これは、心が折れそうになったときの支えになってくれるかもしれません。

自我を忘れ相手を許そう

ところで「四苦八苦」ということばがありますが、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(鵜飼秀徳 著、PHP研究所)によれば、これは仏教用語なのだそうです。そして、後半の「八苦」のなかに含まれるのが「怨憎会苦(おんぞうえく)。嫉妬や妬みを抱き、あるいは憎むべき対象に出会わなければならない苦しみのこと。

今回のご相談がそうであるように、ギスギスした人間関係は悩みの種ですが、そんな怨憎会苦を回避するには、早い段階で憎しみの芽を摘み取ることが大切だと著者は記しています。

憎悪の連鎖にストップをかけ、出家した人物が浄土宗の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)です。法然上人(出家する前は「勢至丸」)は1133(長承2)年、美作(現在の岡山県久米郡)の武家に生まれました。勢至丸が9歳の時、目の前で父・漆間時国が敵対勢力に暗殺される事件が起きます。勢至丸は武士の子です。息絶え絶えの父を前に、敵討ちを誓います。しかし、時国は絶命する前に、勢至丸にこう言い残すのです。

「敵を恨んではいけない。私が殺されるのは前世の報いなのだ。そなたが敵を恨み、仇討ちをしたならば、将来、敵の子や孫がそなたの命を狙うことだろう。恨みはこの世で尽きることはない。それよりもこのような世俗の世界を離れて出家してほしい。そして私の菩掟を弔い、そなた自身が迷いの世界から逃れ、悟りの道を求めなさい」
(140ページより)

  • 『ビジネスに活かす教養としての仏教』(鵜飼秀徳 著、PHP研究所)

かくして勢至丸は父の遺言に従い、菩掟寺で修学すると、15歳のときに比叡山で正式に出家。法然房源空と名乗り、求道の生活に入ったのだそうです。そして「南無阿弥陀仏」に念仏を一心に唱えることによって、万民が救われると説き、43歳で浄土宗を開くに至ったのです。

「相手を許せない」と思う心は、結局は自分が常に正しく、万能であるという「自己愛」から生じるものだと著者はいいます。しかし仏教は、「不変の自我」を否定しているというのです。

つまり、絶対的な「私」など存在しないということ。いいかえれば、怨憎会苦から逃れるには、自我から離れることに尽きるという考え方。結局は、「相手を赦す」しかないということです。


いささか話が大きくなってしまったきらいはありますが、本質の部分では現代人にも共感できることがあるのではないでしょうか?

赦し難い人をあえて赦し、自分が気持ちよく毎日を過ごせるように心がける。最終的には、それに尽きるということなのではないかと思います。