悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、会社でことば遣いが良くない人にどう注意すればよいのかと、悩んでいる方へのビジネス書です。
■今回のお悩み
「ことば遣いの悪い同僚を、怒らせずにうまく注意するにはどうすればいいでしょうか」(33歳女性/公共サービス関連)
学生時代、高校生のころだったと思いますが、僕のことばに対する友だちの反応に驚かされたことが何度かありました。
こちらとしてはなんの悪意もなく、普通に口にしただけに過ぎないことばに対し、「失礼なことを言うな!」「なんだ、その言い方は!」と相手が怒り出したのです。
いま思えばそれは、僕の口の悪さが原因でした。口がめちゃめちゃ悪い両親のもとで育ったので、もしかしたら、それが影響していたのかもしれません。悪いことばが日常的に飛び交う環境だったため、場合によってはそれが人を傷つけることになるという発想力が、根本的に欠けていたのではないかと考えられるわけです。
ですから、あのとき怒ってくれた友だちには、とても感謝しています。もし怒られていなかったら、悪いことばをかけられた相手の気持ちのわからない人間になっていたかもしれないのだから。
そんな経験があるからこそ、今回のご相談にもつい目が向いてしまったのです。ことば遣いが悪かったり、人が傷つくようなことを口にする人は、特に組織においては大きなデメリットを生む可能性があるのですから。
ただ、それは伝えにくいことでもあるので、モヤモヤしたお気持ちも推測できます。場合によってはその人を孤立させることになってしまったり、人間関係そのものにひびが入ってしまうことも考えられますからね。
どんな人でも「気づかい」を忘れない
ご相談者さんが女性ということで、まずご紹介したいのは『はたらく女子の気づかいレッスン~さりげないけど喜ばれる』(能町光香 著、大和書房)。著者は多くの外資系企業で秘書を務め、職場での「気づかい」の大切さを身をもって知ったという実績の持ち主です。
なお、タイトルからもわかるように、本書のテーマは「気づかい」。「会話の気づかい」「メールの気づかい」など、TPOに応じた気づかいの仕方を具体的に紹介しているわけです。
意識すべきポイントは、言葉使いの悪い同僚を注意する際にも気づかいが必要だということ。今回のお悩みとは関係ないように思えるかもしれませんが、人間間のコミュニケーションの問題である以上、すべてはつながっているのです。
たとえば今回のお悩みに関しては、「ウマが合わない人」「苦手な人」への対処法が参考になりそうです。
誰の周囲にも1人や2人は、「ウマが合わない人」「苦手な人」がいるもの。しかし、そういう人に対しては、「あの人は好き」「あの人は苦手」と白黒をつけず、グレーで曖昧な関係を保つことが大切だと著者は言います。
ポイントは、「相手の感情にいつまでも付き合わない」ということです。その場で相手に共感しても、家にまで持ち帰ってはいけません。たとえ相手がイライラしていようと、誰かの愚痴を言っていようと、相手の気持ちに翻弄されることなく、川の対岸から眺めているような距離感で淡々と対応をするのです。(54ページより)
ことば遣いに難のある話、あるいは人の悪口や愚痴などを聞かされていると、たしかに相手のペースにはまってしまいがち。その結果、疲れる必要のないこちらまで疲れてしまったりするものです。
けれど著者が言うように相手の感情と距離をとり、「川の対岸から眺めている」ような気持ちでいれば、おのずと心に余裕が生まれるはず。
相手との距離をうまく保ちながら人と接することは、1つのコミュニケーションスキルです。相手の話に耳を傾けながら、感情移入しすぎない。気持ち良く働くためには、ときには適切な距離をとり、サラッとそつなく対応することも費用です。(54ページより)
そんな距離感が保たれていれば、「もうちょっと、ことば遣いに気をつけたほうがいいかもね」というようにさりげなく、言いたいことを伝えられるかもしれません。
"いたわりのひと言"をかける
いずれにせよ、言いにくいことであればあるほど、ことばで伝えることは難しいもの。そこで次に、『頭のいい人の得する「会話術」~失敗がなくなる話し方新ルール78』(樋口裕一 著、だいわ文庫)をご紹介したいと思います。
人間関係は言葉でできている。(中略)。信頼関係も言葉によって得られ、しばしば失言によって信頼を失う。行動で失敗しても、うまく言葉によって言いつくろえば関係を修復できるし、逆に言葉を下手に使うとそれによって失敗する。人と話さずにいることは、周囲の人との関係を自ら遮断しているに等しい。それでは、人柄や能力をわかってもらえるはずがない。(「はじめに」より)
このような考え方に基づき、本書では「どのような心構えで会話に臨むべきなのか」「具体的にどのような言葉を使えば場をほぐすことができ、自分をアピールできるのか」などを説いているわけです。
愚痴や暴言はできれば聞きたくないものですが、著者によれば、相手が愚痴ったり、ぼやいたりしたときは「相手の身になってことばを投げかけることができる絶好のチャンス」なのだとか。
トラブルに巻き込まれたことを話してくれたのなら、「大変だったでしょう」。近所で事件があったというなら、「怖かったでしょう」。こうした何気ない「いたわりのひと言」が、相手と自分の間のクッションになってくれる。このクッションが弾みになって、「そうなんですよ、それで……」と相手が話を続けてくれたら、心を開いてくれた証拠と思っていい。(72~73ページより)
たとえば、「うん、その気持ち、わかる!」というような「いたわりのひと言」によって相手が心を開いてくれたとしたら、そこから「言葉使いに注意してみよう」という方向に話を持っていくこともできるのではないでしょうか?
相手との距離を縮めたい時は、このような「いたわりのひと言」を意識的に使うことをお勧めする。(73ページより)
著者のこの主張も、記憶にとどめておく価値はありそうです。
人間関係の割合を変えてみる
しかしどうあれ、人の欠点や至らないところばかり見ていると、他人への期待値がどんどん高くなっていくもの。その結果、常にイライラするようになり、心のなかに不満や怒りがどんどんたまっていく可能性もあります。
同僚の口の悪さが気になってしまうのも、そのせいかもしれません。ただ、他人にイライラさせられるような状態は、精神衛生上よくないものです。また、人の欠点をあげつらい、悪口ばかり言っている人のまわりからは、どんどん人がいなくなっていくことにもなるでしょう。
そう考えても、人の悪口を言うような生き方にメリットは少ないと考えることができるわけです。ところが医師である『NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法』(鈴木裕介 著、アスコム)の著者の考え方は、ちょっと変わっています。
僕は、「絶対に人を嫌いになってはいけない」「絶対に人を悪く言ってはいけない」「絶対に誰とでも仲良くしなければいけない」とも思わない。どうしても合わない人を、ときに嫌いになったり、悪口を言いたくなったりするのは、人として当たり前のことだからだ。(64ページより)
人はそれぞれ、異なる考えや価値観を抱いています。だからこそ、人は他人の言動に多かれ少なかれ違和感を覚えるわけです。著者によればその違和感は、心が「この人の考えや価値観は自分と違う」と察知したときに鳴るアラームのようなもの。
そして、その違和感が「受け入れられないもの」であれば、人は相手に苦手意識や不快感、嫌悪感を抱くことになるわけです。したがってアラームが鳴ったときは、心や身体が「いったん立ち止まって、しっかり考えよう」というメッセージを発していると思ったほうがいいそうです。
違和感を自覚し、受け入れ、「自分はなぜ、どこに違和感を覚えたのか」をきちんと考えることは、自分や他人いついてより深く理解するための大きなチャンス。
その結果、「この人との価値観の違いは許容範囲だ」と思えれば、折り合いをつけられるように努力すればいいし、「どうしても受け入れられない」と感じたなら、自分の感覚に自信を持って離れればいいということ。
だから、著者はこう主張するのです。
全然仲良くなくても、心の中で嫌っていても、多少悪口を言っても、表だって喧嘩していなければ、それだけで十分に合格点だ。そして、もし誰かのことを苦手だと思ったら、それが家族や恋人だったとしても、接する時間をいったん減らし、好ましい人たちとの人間関係の割合を増やし、自分の心と身体がどう反応するかを、じっくり感じてみよう、きっと健やかになっていくはずだ。(69~70ページより)
なるほど、そう考えれば、同僚の欠点もある程度は許容できるかもしれません。相手の性格は変えられなくても、自分が関わる人間関係の割合は自由に変えられるものだということです。