いま自動車業界で最もホットな話題は何かと聞かれると、「クルマの電脳化と電動化」と私は答えている。電動化は単純な電気自動車(EV)だけを指すのではなく、プラグイン・ハイブリッド(PHEV)や水素燃料電池車(FCV)、あるいは今売れている日産自動車のコンパクトカー「ノート(NOTE)」のシリーズ・ハイブリッド「e-POWER」も含まれる。電動化はF1レースやル・マン24時間レースなどでも使われる技術なので、もはやハイブリッドは特殊な技術ではなくなってきている。
ということで、従来の内燃機関(エンジン)がすぐになくなることはないにしても、次世代のクルマはモーターで駆動することが主流になることは間違いない。それでは、クルマの「電脳化」についてはどう考えればよいのだろうか。
立場によってさまざまな自動運転の捉え方
自動車は誕生してから130年も経つが、ずっとドライバー(人)が責任を持って安全運転してきた。その文脈には「走る楽しさやスタイリングのかっこよさ」も含まれているが、単に移動手段としての存在ではなく、クルマは人々を熱狂させる「何か」を持っているのである。
この「何か」については後々レポートするつもりだが、運転が人からコンピューター(AI=人工頭脳)に代わったとき、愛好家達はクルマへの愛着を感じなくなると心配する人もいる。自動運転にはユーザーによってさまざまなニーズや期待があるだろう。
自動運転をめぐる動きは急速に活発化してきているが、米国ではグーグルなどのIT企業が、一気に完全自動運転を実現する戦略を打ち出した。慌てたのは100年も前からずっとクルマを作り続けてきた伝統的な自動車メーカー達だった。たとえば日本のトヨタ自動車など大手メーカーは、従来から実用化してきた運転支援システムをさらに進化させることで、自動運転の扉を開こうとしている。しかし、IT企業は一気に山の頂上を目指している。
完全自動運転には、事故軽減や環境問題への貢献など大きな社会的意義があるものの、課題も山積しており、実現するのは決してたやすい道のりではない。ドライバーが運転するクルマと自動運転車が混在したとき、道路上の交通の制御はうまくいくのか、事故の責任はどうなるのかなど、議論する課題は実に多い。
社会はどう感じているのか
自動運転の実用化にむけて、日本では政府と産業界が一体となって実用化を推進するプロジェクトが進んでいる。実は私も、内閣府の戦略的イノベーションプログラム(SIP)の1つのテーマである、自動走行推進委員会のメンバーとして3年前から議論に参加しているのだが、最近は技術領域だけではなく、社会受容性が大切であることを痛感するようになってきた。自動運転はいったい誰のために、何のために利用するのだろうか。ここが肝心なポイントだと考えている。
ここに面白いアンケート調査がある。全米自動車協会(AAA)が調べた自動運転に対する市民の声が興味深い。
-自動運転車に恐怖を覚えた人 78%
-運転支援に期待する人 59%
つまり、コンピューターに運転を任せる心の準備はできていないことが分かるが、不安感が高まると思う人の内訳は、ベビーブーマー世代(1945~1964年前後生まれ)60%、X世代(1960~1970年代生まれ)56%、ミレニアル世代(1980年代~2000年ごろの生まれ)41%となっている。若い人ほどテクノロジーを信頼しているわけだ。
また、私が調べたアンケートでは次のような意見も聞けた(2016年度内閣府SIP主宰の市民ダイアログ)。
-運転もしないで単に移動するためだけのクルマに意味があるのか
-いや、面倒な運転が要らないクルマが早く欲しい
-時々運転できて、疲れたら運転を代わってもらえるなんて素敵だ
-事故が起きたとき、誰が責任をとるのか
-人のミスには寛容だが、機械のミスは許さないだろう
-倫理的問題はどうなのか
-サイバーセキュリティは大丈夫なのか
-グ―グルのようなIT企業が主導権を握るのか
回答者の年代や運転経験、あるいは職業やライフスタイルの違いでさまざまな意見がでてくる。こうした疑問や懸念を丁寧に議論し、説明し解決しなくてはならないだろう。
場所と用途の限定で多様化? 自動運転の使い方
「誰のために、何のために?」という大義を考えるとき、交通事故を例にするとわかりやすい。交通事故の原因は、95%以上がヒューマンエラーだと言われている。しかし、このヒューマンエラーには脇見運転やスマートフォンを操作しながらの運転に加え、歩行者側の油断に起因するものも含まれる。だから人のミスというよりも、無謀な運転や安全意識が欠落した行動も事故の原因となっているのだろう。
ルールや罰則を厳格化しても、人間は厄介な生き物なので、見つからなければ「やっちゃえ」と安全運転への意識が欠落する。だが、コンピューターに運転を任せると、規律正しく、決められたルールに従ってクルマを運転するので、かなり事故が減るだろうと期待される。例えば自動ブレーキが普及するだけで、衝突事故はかなり減らすことができそうだ。
IT企業が考えているような「完全自動運転」には時間が掛かるかもしれないが、場所と用途を限定すれば、数年後には実用化できそうな感じもする。コンパクトなEVにAIを組み合わせれば、過疎地で高齢者が自由に移動できるモビリティが実現できそうだし、こうしたシステムは、都市の中心部を走るタクシーとして利用するとロボットタクシーも可能となる。
目の前にある乗用車が自動化する方向性もあるのだが、地域や用途を限定することで、自動運転は多様化するかもしれないのだ。
人を運転から解放? 真の自動運転とは何か
現在、乗用車としては「ドライバーが前方を監視し、安全運転の責任を持つ前提として、前後(加速と減速)とハンドル操作などが部分的に自動化する高度運転支援(レベル2)」が認められているが、自動運転が本来、人を運転から開放することを意味するなら、レベル3以降からが真の自動運転と呼べるのである。レベル2までは、運転以外の他の作業をすることが道路交通法で許されていないので、自動運転と呼ぶことは言い過ぎかもしれない。
このように、自動運転は生まれたばかりの新生児のような立ち位置なので、何ができるのかという機能は日進月歩で進化している。こういった状況も見ながら、自動運転の現状と展望についての連載を進めていきたいと思う。
著者略歴清水和夫(しみず・かずお)1954年、東京都生まれ。武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年のラリーデビュー以来、国内外の耐久レースで活躍する一方、モータージャーナリストとして活動を始める。自動車の運動理論や安全性能を専門とするが、環境問題、都市交通問題についても精通。著書は日本放送出版協会『クルマ安全学のすすめ』『ITSの思想』『燃料電池とは何か』、ダイヤモンド社『ディーゼルこそが地球を救う』など多数。内閣府SIP自動走行推進委員の構成員でもある |
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