全国各地で勃発する嫁姑問題。Twitterでは3人の男の子を子育て中の秋山さんの義母ツイートが話題を呼んでいる。「孫の誕生日プレゼントは水ようかんの空き容器」「手土産にお菓子よりも現金を要求する」......そんな衝撃的な義母との終わらない戦いに挑む秋山さん。今回は「趣味の山登りをしていたとき」の話をお届けしよう。

  • 山登りが趣味の夫婦、しかし義母の影が……

    山登りが趣味の夫婦、しかし義母の影が……

夫婦で登山に行くのが趣味だった

子どもが産まれる前の話になるが、私たち夫婦の趣味は登山だった。厳密に言えば山に登りたいと言い出した私に夫が付いてきてくれた形なのだが、とにかく夏になると2人でテントを背負い色々な山に登った。

夫はもともと海派だった。幼少期から週末は海に行くのがお決まりだったわ、と田舎暮らしの私には想像もできないようなリゾートの話を写真付きでお義母さんから聞かされていた。そんな中、同じ山登りの趣味を持つ上司から、長野と富山にまたがる白馬岳は一度行ったほうがいいという話を聞いた私は、早速夫に「登ってみたい」と打診した。夫も二つ返事でこれに応じてくれた。

白馬岳は北アルプスの北部にある日本百名山の一つで、中でも白馬大雪渓は日本三大雪渓の一つに数えられる。3カ月後の夏に向け登山計画を立て、週末は予行練習も兼ねて奥多摩や箱根の山を何座か登った。

外泊は親への届けを忘れずに

当時夫は実家暮らしで、どこかに外泊する際は必ず親への報告が必要だった。白馬岳への登頂を来月に控え、例に倣い彼は母に報告をした。「来週北アルプスの白馬岳に行ってくるから」。それを聞いた母親は血相を変えて「アキちゃん(夫)、山は危ないから止めなさい」と彼に言った。当時私たちはすでに社会人として働く大人だった。彼は「報告はしたからいいよ、予定通り行こう」と言うのだが、もともと海派の彼がいきなり山に目覚めるなんて、お義母さんが背後に女(私)の気配を感じないわけがなかった。

次の日、すぐに私のもとへ電話がかかってきた。「あなたなんでしょ? アルプスなんて危ないところにアキちゃんを連れて行かないでちょうだい」と言うのだ。完全に私が諸悪の根源になっている。私は今回の登山計画をお義母さんに説明した。そして本来は登山口で提出する登山計画書もお義母さんに渡し「無理はしません」と伝えた。お義母さんはそれでも何か言いたそうだったが、最後は「何かあったらあなたの責任でアキちゃんを守るのよ」と言って電話は切れた。責任重大である。

登山当日に……

こうして白馬岳登山の日を迎える。前日に夜行バスに乗り、スタート地点の猿倉に着いたのは翌朝の5時だった。猿倉からその日宿泊する白馬山荘までは、計画では7時間程だった。当時はまだスマホが普及しておらず、私たちは2人ともガラケーだった。登山道自体も電波が通じにくく、山頂以外では圏外だったと記憶している。もしかしたら道中で電波の入るエリアがあったのかもしれないが、2人とも登山口に入る前に携帯の電源を切ることにした。

登山自体は順調だった。特に1番の目玉である白馬大雪渓は圧巻の一言である。夏だったが雪渓から吹き降ろされる風は冷たく、視界はあまりよくなかったがとても楽しかった。雪渓を抜け途中で休憩を挟みながら白馬山荘に着いたのは、当初の予定より30分ほど遅れた頃だったと思う。ここら辺であれば携帯の電波も入るだろうか、と2人で思い出したように携帯を取り出し電源を入れたときだった。間髪を入れず彼の携帯が鳴った。

「アキちゃん、大丈夫だったの?無事なの? どうして電話に出られなかったの?」

早口で鼻にかかった甲高い声が聞こえる。非日常を求めてやってきた山頂でこの声を聞くことになるとは。受話口から漏れる声から察するに、どうやら私が事前に渡した計画書を穴が開くほど見つめて暗記したお義母さんは、雪渓に入る前と山頂に着く頃を見計らって彼(時おり私)に電話をしていたようだった。

当然2人とも電源を切っているのでどのポイントでもお義母さんは「電波ノ届カナイトコロニイルカ……」という機械のアナウンスしか聞くことができない。そんな事情を私たちは知る由もないのだが、そこでお義母さんの心配は頂点に達し、こうして外出もせず携帯電話を握りしめかわいい息子(時おり私)にリダイアルをし続けたというわけだ。「あと10分連絡がとれなかったら警察に連絡するところだった」と聞いたときは雪渓にいたときよりも背筋が凍ってしまった。

夕飯を済ませ19時頃に就寝しようとしたときも「寒くないか」「ご飯は食べられたのか」とあの声が聞こえる。彼が「大丈夫だから」「もう切るよ」を交互に10回くらい繰り返すと、観念したのか最後に「心配だから明日起きたら連絡してね」と言う。無視していいから、と彼は言っていたが(そうはいってもお義母さんも心配しているだろうし)と私が翌朝5時に電話をかけると、心底迷惑そうな声で「……何時だと思っているの」と言われた。この世とは理不尽なものである。

帰りは不安定な天候で、最後の1時間は特に大雨だったのだが、2人で買ったばかりのレインウェアを着てたくさん写真を撮り合った。ただでさえ重量のある登山靴が水を吸いさらに重さを増していたが、若さなのかその雨さえも楽しかった。このときの写真を見るたびに当時の濡れた草木の香りや、下山後日焼けした顔で食べた栂池のラーメンの味を思い出せるし、後日雨に濡れた私たちの写真を見たお義母さんが口の端を持ち上げて「どうせ濡れるんだったら海で良かったじゃない」と言ったこともまた忘れられない思い出である。