全国各地で勃発する嫁姑問題。Twitterでは3人の男の子を子育て中の秋山さんの義母ツイートが話題を呼んでいる。「孫の誕生日プレゼントは水ようかんの空き容器」「手土産にお菓子よりも現金を要求する」......そんな衝撃的な義母との終わらない戦いに挑む秋山さん。今回は義実家に泊まれない話(後編)をお届けしよう。
地下室のある憧れの義実家はただの汚部屋だった
その日、私は義実家に泊まることになっていた。まさか家がこんな状態だとは知らずに準備だけは完璧にしてきたが、できることなら今すぐにでも倒れてどこかに搬送されたいくらい気落ちしていた。
私はもともと眠りが浅く、朝もタイマーが鳴る前に目が覚めてしまうような、寝るのが下手くそな人間である。知らない場所だと入眠まで1時間は余裕でかかる。何度か「やっぱり今日は帰ります」と言おうと思ったのだが、私に許されたセリフは「はい」か「すごい」か「そうなんですね」くらいで、残りのターンはすべて義父母が喋っていた。
そうこうしているうちに日は暮れ、「お風呂にどうぞ」と言われてしまう。当時の私は義父母に気を使いすぎていた。こんなことをしたら嫌な気分にさせるかもしれない、あんなことを言ったら嫌われるかもしれない―――そんなことを考えていた20代そこそこの私に教えてあげたい。彼らは少々無視しても反発しても全く平気だ。
すっかり萎んだ気持ちで脱衣所に行った私は、ストッキングを見て驚いた。 よく、『使わなくなったストッキングはハンガーをかぶせて掃除に使うとよい』という裏技がネットなどで紹介されているが、まさに私の足裏はこの数時間でモップとしての役割を果たしたくさんのホコリやゴミを集めていた。今日おろしたばかりの新品のストッキングが、簡易お掃除グッズになっている。泣いた。
スリッパも出されず動きまわればそうなるのは当たり前だ。あんなに靴があるのに、この家にはスリッパがないのか。あの靴の墓場(シューズクローゼット)の奥で眠っているのか、分からない。
湯船に浸かりながら、もしかして今日お邪魔しますと言って約束を取り付けたのは全部私の妄想で、そのせいでお義母さんは掃除をする時間を取れなかったのかもしれないと思った。『じゃあ綺麗にして待ってるわね』と言ったあれもそうすると妄想だったのか。私はなぜ今ここにいるのか、生きるとは何か―――突き詰めていくと出家しそうになった。ちなみに風呂場も色々とアレだったが、食事中の人がいると悪いので詳しい描写は割愛する。
眠れない夜に出会ったもの
夕飯を終えると今回の最大の山場、『就寝』を迎える。私が寝るのはかつて夫が自室として使用していた部屋で、二段ベッドを分解したベッドに私、夫が下で布団を敷いて寝ることになった。ベッドの枕元にはホコリが溜まり、念のため掛け布団を軽く叩くと白いものが蛍光灯に照らされてキラキラと舞った。夫がこの家を出て行ってから数カ月、一度も掃除はされていないようだった。
この一族の最大の武器は『即寝』できることである。夫も、冗談抜きで電気を消すと1分以内に寝る。なんなら電気を消さなくても1分以内に寝る。お義父さんも、我が家に来ると孫などお構いなしにソファでいびきをかいて寝る。一族が皆口をそろえて「何かに悩んで眠れなかったことがない」と言うのが私は本当に羨ましかった。
残された私は、慣れない場所と、あることでソワソワしていた。この家を見た時から、そしてこの清潔を保てていない家に泊まらなければならないと分かった時から私には恐れていたことがある。季節はジメジメとした湿気が肌にまとわりつく頃で、文字にするのも憚られるがイニシャル一文字で表され、北海道にはいないが沖縄のは特別デカいと言われているアレである。
頼みの綱のエアコンは案の定フィルターが目詰まりして息絶えていた。最後に掃除をしたのはいつなのだろうと全く冷えない部屋の中で何度も考えた。よくこういうのは嫌いな人ほど発見しやすいという。なので気にしないようにと必死で瞼を閉じていたのだが、そうすると今度は聴覚が異様なまでに研ぎ澄まされていき、私は負のループに陥っていた。
時刻が深夜1時を周り、ようやくウトウトしだした時に、窓の月あかりに照らされた壁紙が少し揺れたように感じた。見なければいいのに、そういう時に限って目を凝らしてしまう。おまけにその時の私は何を思ったのか、ご丁寧に眼鏡までかけて壁を見てしまった。
いたのだ。
そりゃいるだろうこれだけ汚いのだから。
私は慌てて夫を揺すった。しかしこの男は一度寝ると中々起きない。何度か揺すりつねり叩くとようやく「どした……」と声が漏れた。私が半泣きで壁を指さすと、なんとさっきまでいたはずのアレがいなくなっていた。「よかったね、いないよ」と言って夫はまた寝た。私はパニックだ。いるのも困るがいなくなるのはもっと困る。聴覚レベルはMAXまで上がり、エアコンがカーテンを揺らすたびにその影と音にビビり全身から汗が噴き出した。結局その日は一睡もできず、そのまま日の出を見た。
「よく眠れたかしら?」
朝になり下に降りると、お義母さんはばっちり化粧を決め、いつもの香水を振りまいてご機嫌に本を読んでいた。アレのことを言うのはさすがに気が引けたので、蒸し暑く(エアコンが効かなくて、とも言えなかった)あまり眠れなかったと伝えた。するとお義母さんは真面目な顔で言った。
「おかしいわね、この家、20年前までは月に一回ハウスクリーニングを頼んでいたのよ」
この一言がその年の『何言ってんだこいつ』オブ・ザ・イヤーに輝くことになる。家に帰ったら腕に謎の発疹が出ていた。
どうしても義実家には泊まれない
とにかく最初の一泊がそんな感じだったので、子供が生まれてからも頻繁に遊びには行くが、泊まることは絶対にしていない。泊まりたくないがために頻繁に会いに行った。
おまけにうちは長男も次男も喘息でアレルギー持ちなので、あの劣悪な環境で一晩越すのは絶対に無理だ。あのハウスダストの舞う中で笑って暮らせるのは、一部の特殊な訓練を受けた者だけなのだ。
あれから10年、遊びに行くたびに少しずつ義実家に手を加え掃除を続け、ようやく一般の人間が5時間程度ならガスマスクなしで生きていける環境に近づいてきた。
ただ、今でもあの地下室に何があるかは分からない。それだけが怖い。