とある空港近くのバー。今日もあまり人がいない。バーテンダーしげさんはグラスを磨く作業に余念がない。そこにあのペンギンブローチの男が入ってきた。

民間航空に課せられたエコ目標

しげさん:

「いらっしゃいませ」


男:

「いつのも彼女は?」


「サエコはすぐ戻ってきますよ。ご注文は……ウォッカベースのドライマティーニで、よろしいでしょうか」


「よく覚えていてくれたね。それで結構」


サエコ: 「あら、いらっしゃい」


「こんばんは」


「今度はどんな話を聞いてみようかって考えていたんですよ。今日は私から質問してもいいでしょうか」


「僕に分かることなら」


「航空界ではエコはどうなっているかしら? たしかバイオ燃料とか話題になっていたけど……」


「バイオ燃料か。その話をする前にまず、全世界でどのくらいの二酸化炭素(CO2)が排出されていると思う?」


「……」


「年間330億トンと言われている」


「330億トン……と言われても、ちょっと想像しにくいですね」


「その中で民間航空分野からは約2%、約6億トンが1年で排出される」


「割合的には少ないような……」


「しかし、これから経済が成長すれば航空機の輸送量は増える。その成長は旅客輸送だけで年間4~5%にもなると言われている。貨物はもっと多く、7%を上回るとされているんだよ」


「日本の経済成長率は1.7%と言いますもんね」


「よく知っているね」


「常識ですよ♪」


「さて、話を戻して、そのままなら航空輸送で出されるCO2は増え続ける。他の産業、例えば自動車が電気自動車やハイブリッド車などを導入してマイナスを目指す中で、航空輸送だけが突出する可能性もある」


「確かに、このままだとそういうことになりますよね」


「そこで、世界の国が加盟している国際民間航空連盟(ICAO)では2020年以降、総排出量を増加させないことと、燃料効率を毎年2%減少させることの2つの基本原則を決めたんだ」


「2020年って、あと2年じゃないですか!」


「そう、目の前だ」


バイオ燃料は今……

「そこで注目されるのがバイオ燃料と電気飛行機だ」


「でも、バイオ燃料ってあまり聞かなくなったような……」


「まず、10年ほど前までバイオ燃料の原材料は当初、トウモロコシだった。しかし、世界で飢えている人がいるのに、食物を燃料にすることに倫理的な問題が出てきて、これは現在あまり進んでいない。またトウモロコシは植物なので大量生産ができるかどうかの問題もある」


「農作物だと、天候に左右されますものね」


「で、現在有力視されているが藻を原料とする燃料だ。これなら倫理的な問題はクリアできるし、藻は太陽光があればどこでも計画的に生産できるからだ」


「藻ですか」


「でも、藻由来のバイオ燃料にも問題がないわけではない」


「問題?」


「現在、世界の航空燃料はJET -A1(ジェット・エーワン)という規格で統一されている。現在のジェットエンジンの大半は、この規格を前提に造られている」


「??」


「つまり、そうしたエンジンに別の品質のものを入れた場合は性能が変わったり、著しい場合はエンジンが止まってしまったりする可能性もある」


「それは大変じゃないですか!」


「もちろん、そうならないようには実証実験は繰り返されているが、今はまだ実験段階。さらに、それをクリアしても生産体制の整備など、世界中で安定的にバイオ燃料が供給されるまでは時間がかかりそうだ」


「JET A-1と比べて価格も違ってくるんでしょうね」


「そこも重要だ。価格が安いか同等でなければ、使う航空会社はないだろう」


「普及するということは、いろいろなことがあるんですね」


電気飛行機はすでに空へ

「航空機のエコで今、一番ホットなのは電気飛行機かもしれないな」


「電気で空を飛べるんですか?」


「一昨年、スイスのソーラーインパルス2という太陽光だけで発電してプロペラを回している飛行機が世界一周を果たした。日本にも一時寄ったので覚えている人も多いはずだ」


「聞いたことがあるような……」


「電気なのでCO2の排出はゼロだ。実はエアバスも『Eファン』という2人乗りの電動小型実験機を造って、2015年に英仏海峡横断を成功させている」


「すでにそんな段階にまで進んでいるんですね」


「ボーイングも電気飛行機ベンチャー企業のズーナム・エアロ社というところに出資して、本格的に研究を始めている。さらにNASAやJAXAなど研究機関も、本腰を入れ始めている」


「ビッグネームばかりですね」


「昨年、そのズーナム社がまず2020年に10席クラス、つまり電動ビジネス機を、そして、2030年に50席クラスの電動旅客機を市場に投入すると発表したんだ」


「それほど遠い未来じゃないんだ」


「一方、エアバスはエンジンメーカーのロースルロイスなどと組んで『Eファン』の技術をベースに電気とターボプロップのハイブリット航空機『Eファン X』を考えている。こちらも実験機を2020年に初飛行させると言っている。離陸など力が必要な場面だけジェットを使い、後は電気でプロペラを回して推進力を得るという。CO2は出るが既存のジェットエンジンよりははるかに少ない。オール電動よりは早く実現するかもしれない」


「そんなに各社が競って開発しているってことは、単純にCO2削減だけが目的ではないですよね」


「いい読みだ。もちろん、各社の狙いはそれだけじゃない。電気飛行機の登場で、原価構造が大きく変わる」


「原価、ですか」


「飛行機を飛ばすためには、まず燃料費と整備費、空港使用料などがどうしても必要だ。いわばこれが原価。これにパイロットやCAさんなどの人件費や訓練費などを加えて、利益を乗せて一般には航空券として販売されている」


「燃料費と整備費などは、スナックで言うとお酒の仕入れ値というところかしらね」


「そうだね。で、その原価のうち、燃料費は5~6割近くを占めている。これは、FSC(フルサービスキャリア)でもLCCでも負担は一緒で、人件費やサービス費、そして、利益をどのくらい乗せるかなどで差が出ているだけだ」


「そこはどうしてもカットできないんですね」


「しかし、電気飛行機では理論上、燃料費はゼロ。もし、同じ額で航空券を発売すれば……」


「利益が格段にアップするということね!」


「もちろん、整備費が増えるなどがあるけど、原価を安くできれば利益率が大きくなるのは当たり前のことだ。そうした飛行機は確実に売れるだろう。これが電気飛行機開発が熱い理由だ」


MRJにとって規格外のライバルにも

「その先には、利益をほどほどに抑えて、低価格でお客を集める航空会社も出てくるだろう。消費者にとっても今より安く旅行できるようになる」


「誰にとってもいいことですね」


「しかし、そうとも言えないこともある。特に日本の航空機産業にとってはね」


「どういうことですか?」


「2030年代に出てくる電気旅客機は、60~70席程度の座席数で地域を飛ぶ、いわゆるリージョナル機だと予想されている。初めから日本と北米とか、日本とヨーロッパを結ぶような長距離機が技術的に難しいからね。まずは短距離で運航してというわけだ」


「リージョナル機っていうと……」


「そう、開発が進んでいるMRJ(三菱リージョナルジェット)とバッティングする。MRJは2020年に市場に投入される予定だ。70~90席で従来より2割燃費がいいというのがMRJの売り文句だが、『もっともうかる旅客機』が登場してくると分かっていたら、サエコさんが航空会社の経営者ならどうする?」


「たしかに、MRJを買うか、どうかちょっと微妙ですね」


「MRJのライバルは、同じサイズのエンブラエルとかボンバルディアのリージョナル機とかいわれるが、そればかりではないということを覚えておいた方がいいよね」


「エコだけじゃなく、世界はやはりお金で動くんですね」


「ところでこのカクテル、原価は価格の3割以下、というところかな」


「そ、そんなに安くはないですよ……(汗)」


「はははっ、外食産業の原価率は平均3割と言われているからね」


「お客さん」


「ん?」


「知っているね」


イラスト: シラサキカズマ