連載『中東とエネルギー』では、日本エネルギー経済研究所 中東研究センターの研究員の方々が、日本がエネルギーの多くを依存している中東イスラム地域について、読者の方々にぜひ知っていただきたい同地域の基礎知識について解説します。
日本が輸入する80%以上の原油が中東イスラム地域に依存
日本から近いとは言えない中東。直行便が毎日往来するようになったいまでも、片道約11時間のフライトとなる。日本人が好む観光スポットの多い東南アジアより倍ほど遠い。それでも欧州や米西海岸とは同じくらいの時間距離だ。でも、中東に対して抱くイメージはおぼろげであり、その重要性について考えることは少ない。
いまや日本経済を支えるエネルギー資源は多様だ。その中でも原油の調達先として、中東は、他地域を圧倒する地位を占めてきた。ペルシア湾からホルムズ海峡を抜け、約3週間を要する航行を経て、タンカーに積載された原油が日本に届く。日本が輸入する80%以上の原油を、この地域に依存する状態が長く続いている。
実は、日本の人口減、経済成長の鈍化、省エネの進展などで、原油に対する国内需要は徐々に低下している。バブル期以降のピークだった1994年と比べ、最近では20%以上も輸入量が少ない。それでも、一次エネルギーとしての原油の地位は、見通すことが可能な将来にわたって揺るぐことはないだろう。そして、生産コストが比較的安価であり、埋蔵資源量も豊富な中東に対する依存が続く構造が大きく変わることもなさそうだ。
液化天然ガス(LNG)の供給源としての立場も強化、カタールに白羽の矢
加えて、近頃では、液化天然ガス(LNG)の供給源としての立場がますます強化されてきた。2012年から日本の原発が完全停止に追い込まれる中、その代替役を果たしたのがガス火力であり、急激に拡大するLNG需要を満たす上で、湾岸諸国の一つであるカタールに白羽の矢が立った。その結果、LNG輸入の約3割をペルシア湾に頼る構図が出来上がった。やがてシェールガスを利用した北米からのLNG輸出が軌道に乗れば、対中東依存は低下するだろう。それでも、原油と同様に、豊富な資源が確認されている中東との付き合い方に、大きな変更が生じることはない。
このように、日常的に利用しているエネルギーの面で、中東は絶対的なポジションにある。だが、製品としての最終エネルギーに「原産地証明」やブランドが付いていないこともあり、日本の消費者がそれを意識する場面は少ない。むしろ、何らかの危機が発生し、エネルギー不足に直面して初めて、中東とその安定の大切さを考えるに過ぎない。
いま話題となっている、イスラムの名を語る過激主義。日本人がたびたび犠牲となるだけでなく、数多くの中東諸国もその災禍に悩まされている。幸いにして、ここまでは中東のエネルギー生産に悪影響が及んだ事例は少なく、もっぱらリビアに限られている。だが、「イスラム国」への空爆に参加している、サウジアラビア、カタール、UAEなどが、過激派戦闘員の報復攻撃にさらされないという保証は何一つない。そして、日本に対する主要なエネルギー供給国への攻撃が現実となった時に、彼の地から到来する衝撃波が日本経済に及ぼす影響はいかほどのものとなるのか。想像するだけで恐ろしい。
日本の国内市場が縮小に向かう中、中東は有望なフロンティア候補
日本と中東との関係は、エネルギーが強力な紐帯となっていることは間違いないが、それがすべてではない。日本の国内市場が縮小に向かう中、中東は、日本の諸産業がこれからの活路を模索する上で、中国市場やアジア諸国に代わる、有望なフロンティア候補だ。
大規模な装置産業は、仮に日本企業の技術力が優れていたとしても、国内でそれを建設する経済的な合理性が乏しいため、その先進性を実証し、売り込む場がなくなっている。これでは宝の持ち腐れだ。一方、中東市場は、80年代初頭までの投資が一巡したのち、いま改めてインフラ整備に沸いている。この間の人口増加も著しく、発電や造水の需要も高まっている。また、市場として進取の気性が強いことも、技術力を誇る日本企業には追い風だ。もちろん、同様に進出を狙う中韓との価格競争だけでなく、制度設計や基準の設定の面で、欧米諸国との綱引きにも勝利しなければならない。
日本の農畜産物の輸出市場として中東は新たに脚光、ハラール対応が必須
かつて、中東市場は、日本製、あるいは日本ブランドの電化製品が溢れていた。いまでは韓国製や中国製に市場を奪われ、当時の面影はない。こうした工業製品に代わり、食肉や果実など、日本の農畜産物の輸出市場として、中東は新たに脚光を浴びている。TPPが日本の農産業に打撃を与えることが危惧される中、これは貴重なビジネス機会をもたらす。そのためには、豚肉やアルコールを排したイスラム教徒の食餌規定である、ハラールに対応することが必須だ。ハラール対応はまた、対日観光客の誘致にも活用できる。併せて、健康意識の高まりから、長寿国日本への関心も上昇しており、先端医療を受ける場としても日本が魅力を放っている。
やがて、エネルギーだけではない、人の往来や技術の移転、そして、商品の流通を通じて、日本と中東とのつながりは、具体的に目に見える形となっていくだろう。その下で、中東はより身近になり、その重要性もいっそう認識されていくのだ。
(※画像は本文とは関係ありません)
<著者プロフィール>
田中 浩一郎(たなか こういちろう)
日本エネルギー経済研究所常務理事。同所中東研究センター長と内閣官房政策調査員を兼任。イランおよびアフガニスタンを中心に、中東諸国の政治動向に関する研究に従事して約30年。イラン、パキスタン、アフガニスタンでの在勤経験を持つ。テレビや新聞などで中東情勢及び危機管理に関する解説を行うことも多い。「在留邦人及び在外日本企業の保護の在り方に関する有識者懇談会」有識者(2013年)。元国連政務官。