前回までのあらすじ

大雑把な30代独身B型作家である僕(山田隆道)の彼女は、チーという名の几帳面なA型女子。このたび、そんな正反対の二人ではじめての大阪旅行をすることになり、チーを大阪にある僕の実家に連れて帰ることになったのだが――。

新大阪駅に到着したのは午後5時ごろだった。僕の実家は便利なことに新大阪駅から地下鉄で一本、しかもたったの3駅先にある。住所でいうと大阪府吹田市というところで、1970年の大阪万博以降、急速に開発が進んだ郊外のベッドタウンだ。

33歳独身男子を彼女を連れて実家に帰るといっても、両親には「あくまでただの大阪旅行で、結婚話ではないから、勘違いしないように」とあらかじめ釘を刺しておいたので、僕はどこか気楽だった。最寄り駅から実家までの道中をチーと愛犬のポンポン丸と三人(二人と一匹)で、景色を楽しみながら歩いていく。ちなみにポンポンは早速マーキングの嵐、おまけに大阪初ウンチ。きっちり存在感を示していた。

ところが実家に着くと、僕の事前の牽制球は何の意味も成していなかった。玄関先で息子の帰りを仰々しく待ち受けるは、ともに還暦すぎの両親。二人とも何事かと思うほどよそよそしく、いったい誰かと見紛うほど緊張の面持ちだったのだ。

「あら、いらっしゃい」母が"チーだけ"に言った。

「早速、夕飯にしましょう」と父。視線はまたも"チーだけ"に集中していた。普段はいくら初対面でも年下の人間に敬語なんか絶対に使わず、悪く言えば横柄、良く言えば気さくな態度をとることが多い父だが、この夜はいつになく物腰が柔らかく、どこか無理して紳士的になろうとしているように見えた。

「なんで、そんなぎこちないねん。別に大事ちゃうんやから、普通にしいや」

僕はたまらず両親に言った。ふとチーの表情を見ると、あまりの空気の重さに少々戸惑っているようだった。ポンポンなんかいきなり玄関先で失禁である。

しかし、それでも両親は一向に態度を軟化させず、ますます慌しい様子で僕とチーを食卓に案内した。「さあさあ、夕飯いっぱい作ったから、たくさん食べてね。ビールも飲むでしょ? 遠慮なく飲んでねえ」母がまたも"チーだけ"に声をかけた。「犬の餌もありますから」と父。視線はもちろん "チーだけ"に向いていた。

やれやれ――。僕は深い溜息をついた。この老夫婦は僕があれだけ「ただの大阪旅行だ」と釘を刺しておいたにもかかわらず、完全に「チーとの結婚話」があると思い込んでいやがる。本人たちはなるべく平静を装うとしているのかもしれないが、いかんせん演技が下手すぎる。大体、なんで父ちゃんは敬語なんだ。

もちろん、両親の気持ちは簡単に推察できる。

手塩にかけて育てた大事な長男坊が高校を卒業後、大学進学で上京。それ以降、大阪に帰ってくる気配はまったくなく、ずっと東京に住んだまま、だからといって立派な企業に就職するわけでもなく、売れているのか売れていないのかよくわからない作家なんぞの怪しい肩書きを背負い、おまけに時々怪しいコメンテーターとしてメディアにまで顔を出している。それで本が馬鹿売れでもしていればまだいいものの、実際は近所の本屋に足を運んでも長男坊の著書はなかなか平積みされておらず、棚を探してようやく一、二冊発見できる程度。そんな怪しさ満点の長男坊も早いもので30代も半ばに差しかからんとしており、いつのまにか少し太って少し禿げて、ずいぶん顔のホウレイ線が濃くなってきたにもかかわらず、いまだに独身なのだ。

そりゃあ、普通の親なら心配でしょうがないだろう。まともな社会人の要素がひとつもなく、安心という観点からは程遠いところで生きている長男坊を危惧するのは当然だ。だからして、いくら「ただの大阪旅行」と釘を刺されても、そんな頼りない長男坊が年頃の彼女を実家に連れて帰ってきたのだから、結婚を意識するなというほうが無理かもしれない。言わば両親のこの緊張感は、すなわち僕に対する得体の知れない不安と、その一方でそろそろ安心したいという願望のあらわれでもあるのだ。

とはいえ、僕としては本当にチーとの結婚話がまだ定まっていないわけだから、両親の願望と期待をひしひしと感じつつも、それに応えることはできそうもない。申し訳ないけど、ここは何事もなく、スルーするしか手はないだろう。

かくして、僕は普通に夕飯を食べた。ビールも飲んだ。チーも遠慮なく箸を進めていた。この娘はあまり物怖じしないタイプのようだ。一方、ポンポンは早くも実家に慣れたようで、わしわしと餌を喰らい、その後は愛想良く父に尻尾を振った。さすが愛玩犬のポメラニアン。人間に可愛がられる術を熟知しているようだ。

結局、結婚話は一向に出ないまま、両親とチーとのはじめての食事は終了した。僕は何も気にする必要はないと思っていたのだが、父の表情が明らかに不服そうだったため、少しだけ後味の悪さを感じていた。

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