いつのまにかバレンタインデーじゃないかっ。これは一大事である。恋に迷える独身三十路男としてはこういう国民的恋愛行事を大切にしなければならない。さて、どうしようか。チョコねえ。それ相応の準備をしなければ。

一体何個ぐらい貰うのかな? 誰から貰ったら嬉しいかな? 誰がくれるのかな? 誰かくれないかな? 誰もくれないなんてことはないよな……。

誰か一個ぐらいちょーだいっ!!!

ぶっちゃけ、まったくチョコを貰える予感がしない。これが会社員なら、まだ社内の女子から義理チョコの一つぐらい貰えそうなもんである。しかし、僕の場合、一人で密室にこもる孤独な仕事である。簡単に言うと女友達もいないのだ。

友達。魅力的な言葉である。と・も・だ・ち。深遠なる人間同士の絆である。ト・モ・ダ・チ。美しい響きじゃないか。

トモダチが欲しいいいいいっ!!!

「最近は逆チョコが流行ってるみたいですよ。逆にあげちゃえばどうですか?」

取り乱す僕にそんなアドバスをくれたのは、近所にある小さな居酒屋のマスターである。寂しがり屋のくせに孤独な仕事を選んでしまった僕はいつも誰かと喋りたくなったら、この店で飲むことにしているのだ。

うーん、逆チョコねぇ。お目当ての女子に男子から逆にチョコを贈るってやつでしょ。確かに流行ってるって聞いたことはある。なんでも某大手製菓会社が大々的にプロモーションしているらしいじゃないか。さらに調べてみると日本にバレンタインデーの風習を持ち込んだのも同じ製菓会社らしい。

なるほど、商業的だねえ。ブームというより、ブームを企業が仕掛けているってことか。ふんっ、何が逆チョコだ。そんな見え見えの戦略に踊らされてたまるか。こちとら三十過ぎの妖精おじさんだぞ。マイペースなB型男子だぞ。しっしっ、なめんなよ、あっちいけっ。

しかし、そんな僕にマスターは言った。

「最近のバレンタインは告白っていうより、人間関係を円滑にする行事ですよ。コミュニケーションが希薄な時代だからこそ、逆チョコもいい機会じゃないですか」

そうか、それもありだな。逆チョコいいじゃん。(単純!)

というわけで僕の逆チョコ大作戦が始まった。しかし、ここからが面倒くさい。どういう手段でどんなチョコを用意するのかという点でおおいに悩むわけだ。

そもそも僕に手作りチョコという選択肢はない。そんな技量を持ち合わせていないのもあるが、それ以上に大きな理由はそこまで逆チョコに気合を入れるのが恥ずかしいからだ。ならば、専門店でしか手に入らないような外国の高級チョコを購入するのはどうか。いや、それもちょっと気合入りすぎである。

「山田さんって普段は飄々としてるけど、本当は彼女ができなくて焦ってんのね。こんな高級チョコをわざわざ買うなんて必死じゃん。三十路独身男子は大変ねえ」

こんな陰口を女子たちに叩かれたら死にたくなるじゃないかっ。

じゃあ、製菓会社が逆チョコ用に売り出してる一般商品はどうだ。いや、それも違う。それはそれでいい年こいた大人にしてはみっともない気がする。

「山田さんって普段はシニカルにしてるけど、本当は流行に踊らされちゃうタイプなんだ。どんどん腹が出てきて焦ってんじゃないの。三十路独身男子は大変ねえ」

ああ、恐ろしい。逆チョコ商品なんて危険極まりないアイテムじゃないかっ。

僕としては「別に恋愛に焦っているわけでも企業に踊らされているわけでもないけど、今年はちょっと気が向いたからコミュニケーションを深める行事とやらに遊びで参加してやるか。で、まあ、そういうことならそうだな。前からちょっと気になっていたあの娘がいいな。チョコ好きって前に言ってたし」というぐらいのポーズでスマートに逆チョコを贈りたいのだ。

まったく自意識とは厄介なものである。僕に必要なのは逆チョコを贈る勇気ではなく、逆チョコを贈るに至ったスマートな経緯。それでいて尚且つ、女子に自分の好意をさりげなくアピールしなければならない。いやはや、面倒くさい。

結局、僕はそこそこの洋菓子店でそこそこの値段のそこそこにかわいいチョコを購入した。中途半端かもしれないが、これぐらいが最も独身三十路男に適している。中途半端は古くから日本人の美意識の一つなのだ。

さあ、準備はすべて整った。後はターゲットの女子を誰にするかなんだけど、そこが一番の問題である。……だって、友達すらいねえもんっ!!