僕は料理が苦手だ。子供の頃、母に料理を教わったことがあるが、その料理講座があまりに難解で、まだ未成熟な僕には理解できないまま現在に至っているのだ。

「母ちゃん、肉じゃがってどうやって作るん?」

キッチンで夕食の支度をする母に当時の僕は素朴な疑問をぶつけた。母に目の前で実際に肉じゃがを作ってもらい、その調理方法をメモってやろうというわけだ。

しかし、僕の母は家族の誰もが唸りをあげるほどの超スーパー天然様である。行楽地などに出かけるとほぼ100%迷子になるし、こないだなんて実家の近くで道に迷ったほど。ちなみに血液型はB型である。

「肉じゃがっていうのは、まず玉葱を"これぐらい"炒めて、ジャガイモと人参を"これぐらい"炒めて、あとは水とダシと醤油と砂糖が"これぐらい"で、"大体いいかなあ"って感じになるまで煮込んで……」

そう、母の料理講座はやたらとアバウトなのだ。普通、調味料は大サジ何杯とか目安があるものだが、そういう加減を全部"これぐらい"と説明してしまう。「そんな適当な説明じゃわかんないよ」って突っ込んでも母はこう答えるだけである。

「そこは自分の心に聞いてみなさい。料理はハートが大事なんだから」

いや、そう言われても……。もし砂糖が多すぎて甘くなりすぎたらどうするの?

「そしたら水を足したらいいでしょ」

どれぐらい?

「これぐらい」

だから、わかんないって!

……というわけで、結局僕は何の収穫もないまま母の料理講座を卒業することになった。それでも母の料理はなぜか美味い。感性に勝るレシピはないということか。

ところで、そんな僕だが20歳のとき、当時の彼女にケーキを作ってあげたことがある。彼女の誕生日につい勢いでケーキを作る約束をしてしまったのだ。

その日、彼女は夕方6時に僕の家に来る予定だった。昼間のうちに僕がケーキを作っておくという計画である。僕は朝起きるなり、本屋で「初めてのケーキ」という本を購入。必要な器具や材料も買い揃え、血気盛んにケーキ作りを開始した。

しかし、これがめちゃくちゃ難しかった。何度焼いてもスポンジがペチャンコになるし、まったくフワフワしない。やたらと堅くて甘い小麦粉の塊みたいな不気味な固形物が何個もできあがってしまうのだ。

次第に僕は焦ってきた。テーブルには失敗作が7個も並んでいる。やばい。時間がない。このままでは一つも作れないまま約束の6時になってしまう。そんなのあまりに情けない。ってか、これがきっかけでフラれてしまい、「ケーキが作れなくてフラれた男」という意味不明な伝説を作ってしまうんじゃないか。

それもこれも母ちゃんが悪いんだ。ちゃんと教えてくれていたらこんなことにはならなかったはず。だってレシピ本には一切「これぐらい」って書かれてないもん。やっぱ母ちゃんは間違っていたんだ。母ちゃんのバカヤロー!(責任転嫁)

結局、僕は時間ギリギリまで粘ったものの、失敗作を10個の大台に乗せた挙句、近所でプロが作ったケーキを買ってきてしまった。カッコ悪いけど、ケーキがないよりかはマシである。彼女が来たら正直に謝ろう。つうか、やっぱプロのパティシエってすごいな。自分の迷作と比べてみると、織田裕二と山本高広ぐらいの差がある。模倣には限界があるんだなぁ。

その後、時間通りに彼女は僕の家にやってきた。僕はケーキ作りに失敗したと正直に事情を話し、お詫びの印にプロのケーキを彼女に差し出した。

彼女は何も言わずプロのケーキを食べ、「美味しいね」と一言口にした。僕は嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになった。しかし、その後、彼女はおもむろに僕が作った失敗作を食べ、意外な感想をこぼしてくれたのだ。

「こっちのケーキのほうが美味しいよ。お金で買えないものが詰まっているから」

その瞬間、僕の胸に熱いものが込み上げてきた。彼女の笑顔は優しかったが、一方の僕は嬉しさと照れくささ、そしてたくさんの感動が同居した何とも気持ち悪い笑顔になったと今でも思っている。

料理はハートである。母の言葉の意味が少しだけわかった気がした。

ちなみに彼女はA型だった。