先日、ある酒席で友人の映画ライターが「恋愛映画には恋の名言が多い」と語っていたが、僕はそう思わない。屁理屈が多いと思う。
例えば、映画『荒野を歩け』の中で片想いするヒロインが語った台詞がこうだ。
「片想いでもいいの。二人分愛するから」
また、映画『ジョルスン物語』の中で男女が交わした会話のやりとりがこうだ。
「君は会うたびに美しくなる」 「会ったのはついさっきよ」 「その間に美しくなった」
さらに、ウディ・アレンは映画『アニー・ホール』の中で「恋とはサメのようなものだ。常に前進してないと死んでしまう」と語り、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の中では「体が重いと足跡も深くなる。恋心も強いと傷が深い」という台詞が出てくる。
僕にはこういった恋の名言が見事な屁理屈に思えて仕方ない。特にウディ・アレンの「恋とはサメのような~」は、ほぼ大喜利じゃないか。思わず「うまい! 」と唸りをあげて、山田くんが座布団を運んできそうである。
断わっておくが、僕は屁理屈が悪いと意見しているわけではない。むしろ、屁理屈ほど素晴らしいものはないと思っている。言わば、僕は屁理屈愛好家なのだ。
辞書を引くと、屁理屈とは「道理に合わない理屈。こじつけのこと」と書かれており、一般的に悪いイメージがあるかもしれない。僕も子供の頃、よく親から「あんたは屁理屈が多い! 」と怒られたものだ。
「テレビばっかり観てないで、勉強しなさい!」
かくいう具合に口を酸っぱくするのはマイ母ちゃんである。しかし、僕は口でモノを考えているような小生意気なガキだったこともあり、
「今日は先生から宿題が出てないねん。ということは逆に考えると、先生が『今日は勉強するな』って言ってるってことやん」
と、かような屁理屈をこねるのである。
また、御飯を残したことを注意されると、「御飯を残せるってことは、うちがそれだけ裕福だってことを意味しているから良かったやん」と言い返し、何かでミスしたことを怒られると、「失敗したおかげで名誉挽回という貴重な体験ができるね」とこじつける。うーむ、我ながら百発ビンタを食らわしたくなるようなクソガキだ。
しかし、少し引いたところから大らかに考えると、これらの屁理屈は言葉遊びとしては非常に面白いと思うのだ。会話の構造的には映画の名言もクソガキの屁理屈もそんなに大差ない。かつて上岡龍太郎氏が「あなたは意見がころころ変わる」と批判されたとき、眉一つ動かさず「変化は進歩です」と言ってのけ、雑音を一蹴したことを思い出した。見事な屁理屈である。屁理屈とは言語という人間独自のコミュニケーションツールが編み出した「言葉の芸術」なのだ。
そう考えると、男女の機微に溢れる会話が醍醐味となる恋愛映画において、名言という皮をかぶった屁理屈が多いのも当然の結果だろう。恋愛映画には男と女の屁理屈バトルの様相が少なからずある。それを映画好きはウィットと呼び、御婦人方は心をときめかせるわけだ。僕は心の中で「座布団、一枚! 」と喝采を送るのだが。
ところが、これが現実の恋愛になってくると御婦人方は笑って許してくれない。
昔、僕が彼女と喧嘩したとき、「喧嘩のいいところは仲直りできるところやね」とにこやかに言ったら、秒殺で「屁理屈をこねるな! 」と火に油を注いでしまった。他にも彼女の誕生日を忘れて「誕生日より僕らが生きている今日をお祝いしよう」と屁理屈をこねたら、一週間も口をきてくれなかったことがある。
また、既婚者の友人であるMは疲れているときに妻にセックスをせがまれて「今日の君より明日の君が欲しいんだ」と断わったら、妻が「じゃあ、今日のわたしはダメってことね! 」と憤慨したらしいし、結婚記念日を忘れて「結婚式と入籍日で迷っていたんだ」と誤魔化したら、「言い訳するな! 」って激怒されたらしい。
事実は時に映画よりも残酷なのである。屁理屈のウィットはスクリーンの中でしか陽の目を浴びない。ほとほと寂しい限りだ。
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